2007/06/27
25. 瞑想
瞑想できますか?
私は妄想は大の得意だが、瞑想は全然出来ない。
人間が腹黒い証拠だろう。
タイのお寺で、図らずも瞑想する機会を得た。
私はあぐらが組めない。
もうその時点で苦手意識の塊である。
それを理由に、「ワシはできましぇん」とカミングアウトしようとしたが、辺りを見回すと、足を崩しながらもじっと瞑想している方がおられる。
これは断りの理由にはならんようだ。
「彼女は瞑想できないし、足にハンディキャップがあるからちょっとだけにしようね。」と、珍しく旦那が友達に伝えた。
あんた、ワシをダシにしたね。
時間短縮を企んだね。
「そうね。じゃ30分だけね。」との返事に、旦那のシドロモドロの困り顔。
30分という時間は、彼女にとってはめちゃ短い単位なのだが、初心者の我々には長すぎる。
「う、うん、そうだね、、、だいたいそんなもんでね。」と、うろたえる旦那はブラッドピットと同年だったりする。(ついでに私もだけどな。)
私はホントに初心者なので隅っこに座った。
すでに老若男女が、組んだ足に白い布を垂らして真面目に深い瞑想に入っている。
私語はもちろん慎まねばならん。
ゆっくりと準備する振りをして、ちらちらと見回せば、都会のOLっぽい綺麗なオネエサンもお金持ちそうなオバサマも、黄色いポロシャツがなかなかイカしてる庶民派のおっちゃんもイケメンの兄さんもおる。
なんで瞑想なんかしとるの?
もうこの段階で、ワシはこの場にいる資格がない。
このクソ暑いバンコクの日中に、わざわざ寺参りして瞑想する意味がわからない。
隣で友達が瞑想に入った。
その向こうで、自称:仏(ホトケ)のマコちゃんもあぐらを組み目を閉じている。
心の中で、私みたいな者がこのような神聖な場所に入ってきちゃってごめんなさいと、お釈迦様に百万回謝ることにした。
そうしたにも関わらず、「暑いな」「静かだな」「みんな信心深いな」などと要らん妄想が走る。
なんでみんな信仰心があるんだろう?
何を真面目に瞑想してるんだろう?
何かとても困り事でもあるのだろうか?
瞑想すれば救われるというのだろうか?
慈悲の心って一体なんだろう?
私が今直面している大きな試練は、信仰心を持てば乗り越えられるのだろうか?
いろんな疑問が沸いてきた。
すでに心が騒ぎ出している。
もはやこれは瞑想とはほど遠い位置関係の妄想族の集会のようなもんだ。
やはり私は、とてもキャパの小さい人間だということが実感できた。
それが、そう、それだけが、私の瞑想の成果である。
「さ、これくらいにしない?」
一番に声を掛けたのは、やはり仏のマコちゃんだった。
まだ10分くらいしか立ってねぇじゃね〜か?
「アイコ、OK?」と友達は私を気遣って切り上げてくれた。
いや、今のはどう見ても旦那のマコちゃんのギブアップだと思うのだけれど。。。(--;)
ま、いいよ、そんなこたぁ別にいいけど、、、さぁ。。。
「キミは瞑想できたかい?」
ほらね、やっぱり得意げに聞いてきた。
そういう可愛いおっちゃんなんだよな、この人は。(--;)
いえ、ワシなんか全然出来ないっすけど、あんたはどうなん?
「僕はね、ほら、キミと違ってもうバッチリよ。(^^)v」
おいおい、どこがどうバッチリなんだかゆーてみろや。
「ほら、僕の心の中の菩提心ってゆーの?わかる?その慈悲の心の種が育つようにお釈迦様が僕に栄養となる甘露を注ぐワケよ。たくさんたくさん甘露が注がれて溢れる感じを観想するって感じかな。」
おめぇよぉ〜、それって護摩法要の時にチベットの坊さんが言ってた言葉そのまんまじゃねぇ〜かよっ。。。(--;)
ついでにそれは観想であって瞑想じゃねぇっつーの!
「キミの妄想より千倍マシだと思うけどね。」
どこへ行ってもアホアホ夫婦だな。
お互いロクに瞑想もできんくせに、こんなとこにノコノコは入りこんじまったってことか。。。
バチが当たらなきゃいいな。(>_<)
少なくとも1時間、時間があれば何時間でも瞑想するという友達に尋ねてみた。
ねぇ、どうして瞑想するの?
「心がリラックスするから。
リラックスすれば、どんなことでも良い方に向くよ。
心をリラックスさせないと、イケナイ人間になるよ。
そんなんじゃ、グッドラックもやって来ないよ。」
うん、ちょっとだけわかる気がする。
でも、どうやって瞑想してるんだろう?
基本的なことが私はわかっていない。
何も考えないのが瞑想なのかと思うけど、そうでもないらしい。
「気」の勉強をしている人から聞いた話だが、間違えた方法で瞑想すると瞑想した気分になるだけで、それは「無」の境地ではなく「魔」の境地、すなわち「魔境」に入ってしまうらしい。
それはとても恐ろしいことなので、素人が瞑想まがいなことをするものではないと言ってた。
きちんと瞑想の方法を指導してもらうのがホントは良いそうだ。
私には、そういう師がいないので、今まで瞑想を試みたことがない。
(逆にそういう師がいるのも怖い話だ)
ブームのヨガに行っている人に瞑想もするの?と聞いたことがある。
その教室では、毎レッスンの最後に瞑想をするという。
何を瞑想するのかと問えば、今日1日のことを一つ一つ振りかえることだと言ってた。
それって瞑想?
回想じゃないの?
ま、お教室のヨガだとそんなもんなのかもしれない。
ヨガは喩我であり、その最高の修行は瞑想なのに、ブームに乗るのは美容体操もどきばかりだ。
本質を伝えると宗教がかってしまうので、そうなると敬遠されてしまう。
私の知っているヨガの先生達は、ちゃんと本質も勉強している人たちなので、この辺りの匙加減が難しく、健康体操でも良しと割り切って活動していると言ってた。
呼吸法の大切さを伝えるだけでも本質の一部に触れることにはなるのだから。
あぐらが組めないとか、時間がないとか、私は今まで逃げてばかりいた。
少しの時間でも心を落ち着かせる時間を持つことの大切さを身を持って知ったのだから、これからは正しい方法を勉強して実践してみようと思った。
そしてタイへ行くたびに、私はお寺に出向くことにしよう。
たとえ瞑想する時間がなくても、そこに行けばリラックスする。
人が本当に望んでいるものが何なのか、言葉にできない答えがそこにはある。
人の優しさやふれあいの大切さが、それを教えてくれることだろう。
2007/06/19
24. カラオケ
カラオケは好きですか?
ワシは嫌いじゃないけど、昭和の歌しか歌えないコンプレックスと時間がないという物理的問題において、あまりカラオケには行かない。
そう、日本ではの話し。
こんなワシでもチェンマイで2回、バンコクで2回、流れに乗ってカラオケに行ってしまった。
タイのカラオケにも数種類あることを知った。
まず、バンコクのショッピングセンターの隅においてあるカプセルカラオケ。
日本で言うと、ゲーセンにカラオケが置いてあるような感覚だ。
ショッピングのついでに楽しもうみたいな軽いノリだ。
カプセル型のもあれば、ちょっとした部屋構造になっているのもあるし、仕切りも何もないところでノリノリで歌っていたりするのもある。
これらはほとんどが防音効果がない。
外に丸聞こえだ。
学校の休みの時は小学生がお得意様のようで、小さなカプセルに4〜5人入りこんで興じている。
タイポップスに限らず、子ども達の間ではコリアポップスもメジャーなようだ。
韓流、恐るべし!
大きなカラオケボックスもタイにはある。
日本のものとよく似ている。
これらは主に若い子たちがお得意様のようだ。
タイの歌の他にも英語も日本語も中国語も韓国語も意外とヒットソングが満載だ。
ワシはチャイナドールをこれで覚えた。
あんまり自慢にはなりゃしない。
よくあるのは、なんだかエロエロな匂いのするカラオケだ。
カラオケが置いてあるだけで、システムはなんらゴーゴーバーと変わらない。
場末っぽくなればなるほど、オネエチャン達の密着率とお持ち帰り可能率も高くなる。
こんなカラオケも行ったことがある。
そこのオーナーさんとちょっと知り合いになったので、軽く接待を受けたというノリだ。
ワシの性別が一応女なので、部屋に入るとビールをついでくれるオネエチャンだけが入ってきた。
そこのカラオケマシーンは意外とハイテクで日本語の歌が充実していた。
・・・やはり日本のおっさんがお得意様なのだろう。
違う部屋をのぞくと、お一人様に付きお二人くらいオネエチャンを侍らせて、嬉しそうに興じているおっさん連中がはしゃいでいた。
確かに、日本じゃそんな可愛い女の子がそのお値段であんたにはチヤホヤしてくれんでな・・・(--;)
お金で解決の大人の社交場だ。
チェンマイではローカルな人だけが集まるカラオケにも行った。
仲良しになった兄さんが連れて行ってくれた。
ピン川沿いではあるがローカルな側にある大きなステージ付きのカラオケだ。
土日は満員になるらしいが、かなりな席数を持つ野外レストランって感じだ。
そこは、テーブルに番号があり、その順番で歌う番が回ってくる。
例えば4人席で混んでいたら、テーブルの1人が2曲までしか歌えない。
続けて同じテーブルの人が歌うのは出来ず、次のテーブル順を待つ。
2曲を分けて1人1曲ずつというのもありだが、みんな歌いに来ているので、持ち歌2曲は暗黙の了解らしい。
空いていれば、2人まで歌える。
2曲ずついいので、1テーブル4曲までいい。
そこのカラオケは、ステージの横にDJみたいな人がいて、その人に曲名を申告すればカラオケをセットしてくれる。
そんでもって、DJの前にはマイクやタンバリンやマラカスもあって、コーラスやノリノリ部隊は彼が1人でこなしてくれる。
ステージに上がって歌う人も、自分で前説を入れたり歌の終わりに一言あったりで、まるで歌手の気分が味わえる。
もちろんレストランなので食べ物は何でもあり、飲み物も何でもありだ。
真面目に歌いたい人だけが集まるようだ。
歌声喫茶みたいな感じというか、なんというか、、、、嬉しそうに歌っている姿がちょっとイタイ感漂う。
でも、おもしろい。
日本の歌はないと言われて諦めたが(意外とステージに立つ気満々だったわけだな)、日本の歌が普通にタイ語の歌に変わっているのを発見した。
一緒に行った兄さんが歌った中に、どう聞いても渥美二郎の「夢追い酒」と喜納昌吉の「花」があった。
それは日本の歌でしょ?と聞いても、タイの歌手の歌だという。
うまいことリメイクされてんだなぁ。。。。
あゆや嵐の歌は、彼らの歌として日本の歌として認識されてんのに、、、ねぇ。。。(>_<)
今度あのレストランに行ったら、DJに鼻歌をきかせてテレサテンを出してもらおう。
バンコクのローカル食堂では、意外とカラオケマシーンがあったりする。
その場合は全部タイ語の歌でタイ人が楽しそうに歌っている。
ワシは普通にメシ食いにきただけなんだけど、へたくそなタイ人の歌声をきかせられる羽目に合う。
不測の事態に備えてやはりタイ語の歌を一曲くらいは歌えるといいだろう。
ワシにとっては最近の日本の歌を覚えるのもタイ語の歌を覚えるのも使う労力は同じようなもんだ。
どちらも外国語にしか聞こえないのだから。
ワシは嫌いじゃないけど、昭和の歌しか歌えないコンプレックスと時間がないという物理的問題において、あまりカラオケには行かない。
そう、日本ではの話し。
こんなワシでもチェンマイで2回、バンコクで2回、流れに乗ってカラオケに行ってしまった。
タイのカラオケにも数種類あることを知った。
まず、バンコクのショッピングセンターの隅においてあるカプセルカラオケ。
日本で言うと、ゲーセンにカラオケが置いてあるような感覚だ。
ショッピングのついでに楽しもうみたいな軽いノリだ。
カプセル型のもあれば、ちょっとした部屋構造になっているのもあるし、仕切りも何もないところでノリノリで歌っていたりするのもある。
これらはほとんどが防音効果がない。
外に丸聞こえだ。
学校の休みの時は小学生がお得意様のようで、小さなカプセルに4〜5人入りこんで興じている。
タイポップスに限らず、子ども達の間ではコリアポップスもメジャーなようだ。
韓流、恐るべし!
大きなカラオケボックスもタイにはある。
日本のものとよく似ている。
これらは主に若い子たちがお得意様のようだ。
タイの歌の他にも英語も日本語も中国語も韓国語も意外とヒットソングが満載だ。
ワシはチャイナドールをこれで覚えた。
あんまり自慢にはなりゃしない。
よくあるのは、なんだかエロエロな匂いのするカラオケだ。
カラオケが置いてあるだけで、システムはなんらゴーゴーバーと変わらない。
場末っぽくなればなるほど、オネエチャン達の密着率とお持ち帰り可能率も高くなる。
こんなカラオケも行ったことがある。
そこのオーナーさんとちょっと知り合いになったので、軽く接待を受けたというノリだ。
ワシの性別が一応女なので、部屋に入るとビールをついでくれるオネエチャンだけが入ってきた。
そこのカラオケマシーンは意外とハイテクで日本語の歌が充実していた。
・・・やはり日本のおっさんがお得意様なのだろう。
違う部屋をのぞくと、お一人様に付きお二人くらいオネエチャンを侍らせて、嬉しそうに興じているおっさん連中がはしゃいでいた。
確かに、日本じゃそんな可愛い女の子がそのお値段であんたにはチヤホヤしてくれんでな・・・(--;)
お金で解決の大人の社交場だ。
チェンマイではローカルな人だけが集まるカラオケにも行った。
仲良しになった兄さんが連れて行ってくれた。
ピン川沿いではあるがローカルな側にある大きなステージ付きのカラオケだ。
土日は満員になるらしいが、かなりな席数を持つ野外レストランって感じだ。
そこは、テーブルに番号があり、その順番で歌う番が回ってくる。
例えば4人席で混んでいたら、テーブルの1人が2曲までしか歌えない。
続けて同じテーブルの人が歌うのは出来ず、次のテーブル順を待つ。
2曲を分けて1人1曲ずつというのもありだが、みんな歌いに来ているので、持ち歌2曲は暗黙の了解らしい。
空いていれば、2人まで歌える。
2曲ずついいので、1テーブル4曲までいい。
そこのカラオケは、ステージの横にDJみたいな人がいて、その人に曲名を申告すればカラオケをセットしてくれる。
そんでもって、DJの前にはマイクやタンバリンやマラカスもあって、コーラスやノリノリ部隊は彼が1人でこなしてくれる。
ステージに上がって歌う人も、自分で前説を入れたり歌の終わりに一言あったりで、まるで歌手の気分が味わえる。
もちろんレストランなので食べ物は何でもあり、飲み物も何でもありだ。
真面目に歌いたい人だけが集まるようだ。
歌声喫茶みたいな感じというか、なんというか、、、、嬉しそうに歌っている姿がちょっとイタイ感漂う。
でも、おもしろい。
日本の歌はないと言われて諦めたが(意外とステージに立つ気満々だったわけだな)、日本の歌が普通にタイ語の歌に変わっているのを発見した。
一緒に行った兄さんが歌った中に、どう聞いても渥美二郎の「夢追い酒」と喜納昌吉の「花」があった。
それは日本の歌でしょ?と聞いても、タイの歌手の歌だという。
うまいことリメイクされてんだなぁ。。。。
あゆや嵐の歌は、彼らの歌として日本の歌として認識されてんのに、、、ねぇ。。。(>_<)
今度あのレストランに行ったら、DJに鼻歌をきかせてテレサテンを出してもらおう。
バンコクのローカル食堂では、意外とカラオケマシーンがあったりする。
その場合は全部タイ語の歌でタイ人が楽しそうに歌っている。
ワシは普通にメシ食いにきただけなんだけど、へたくそなタイ人の歌声をきかせられる羽目に合う。
不測の事態に備えてやはりタイ語の歌を一曲くらいは歌えるといいだろう。
ワシにとっては最近の日本の歌を覚えるのもタイ語の歌を覚えるのも使う労力は同じようなもんだ。
どちらも外国語にしか聞こえないのだから。
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