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2007/08/31

26. 郷に入れば郷に従ってみた。

これな〜んだ?
2007年、微笑みの国タイランドで爆発的ヒットアイティムです。
街中どこでも売っている。
中味だけを売っているところもあれば、ケースだけを置いているところもある。
カタログもあって、TUKTUKの兄さん達が客引きも忘れて熱心に見ていたりする。
あれがいい、これが欲しいと、数人集まって熱心に議論してたりする。

いい大人が何やってんだか・・・(--;)
最初はそう思っていた。
しかしタイへ行くたびに気になって気になって、私はついに自分用を購入してしまったバカだ。
なんでも納得せんと金は出さん私ゆえ、これが一体どんな代物なのかをリサーチするのにちょっと苦戦した。
聞く人によって違うこと言うのは、古今東西よくあることだ。
ましてやヒットアイティムで、老いも若きも男も女も、みんなが首から下げてるものだから、それが一体何なのか、どんな効能があるのか、噂が噂を呼んで真相を探るのは容易ではない。

ホントかどうかわからないが、リサーチの結果を総合すると・・・・

《数年前、タイの南の方(スラタニ辺り)のお寺に一人の坊さんがいた。
この坊さんは小乗仏教徒というよりヒンズー寄りの教えを実践していたそうだ。
ヒンズー教徒の人たちが持っているグッズも作った。
それがこの真ん中に入っている粘土で固めた信仰グッズだ。
人々がよい方向に導かれることを願って、そこのお寺で販売活動をしていた。
とても人々のために尽くしたらしい。
貧しい人を助けるのはもちろん、村の人々のためにグッズ販売やドネーションで得たお金を有効に使って力を尽くした立派な坊さんだった。
数年たち、坊さんが亡くなった。
坊さんの偉業に感謝して、村人達は棺桶に入った遺体の前で記念写真を撮った。
すると、どうだ!
坊さんの優しい笑顔が光の輪の中に現れたそうだ。
その後、遺体の前じゃなくとも、坊さんと親交のあった村人たちの写真には、満面の笑みの坊さんが写ることが多くなった。
その写真を持った人は、たいへんありがたがったそうだ。
そして、良いことがあったそうだ。
そんな噂が噂を呼び、坊さんを知らない人でも良いことを願う人が増えてきた。
坊さんの恩恵を受けるのに持ってこいのグッズがこれだ。
写真に光やスマイルが写らない人々にも、このペンダントを持っていれば良いことが起こると言われるようになった。》

らしいよ。。。

なんだよ、心霊写真かよ。。。(--;)
そういうのは宜保さんに祓ってもらうもんだぞ、日本では。
って私は思ったけどね。

このグッズは屋台でもタラートでもどこでも売ってるけど、お寺での販売活動はスゴイよ!
バンコクのヒンズー寺院の前では、スタッフの方々がおそろいのTシャツ着て予約受け付けているもん。
そうそう、これは予約販売でゲットするのが真にありがたいそうだ。
みんな予約を受け付けて、ワット・プラマハータート(ナコーンシータマラート県)に発注するそうだ。

ちなみに私は真夜中のルンピニで血迷ってゲットしたのだがな。
図柄はやっぱりガネーシャでしょ!
タイ人らしくゴージャスなバージョンだ。
紐も金々メッキの飾りもいかにもって感じがする。
どうせなので、両脇に下げる小さなガネーシャもゲットした。
金々メッキの飾りの中も教典らしきものを入れてみた。














表はガネーシャ、裏はビシュヌにしてみたアルヨ。

仏教国とはいえ、なぜにヒンズーの神様なんだ???と思っていた疑問は、真相を聞いて納得に変わった。
図柄はもっといっぱい種類がある。
中に金々貼り付けたのもあるし、カラフルに塗った物もある。
セラミックのものもあったりする。
図柄によって願いや効能も分かれていたりする。

あ〜、アメージングタイランドだね。

そそ、ちなみにこのグッズは《チャトカム》と言う。
私はタイにいるとき、いつも着けている。
ブームが去るまでは着けておいた方が何かと優遇されたりもする。
お寺にお参りも欠かさないし、タイ式でお祈りもするしおみくじも引く。
なかなか、私もアメージングな人材だ。
ある意味国際人か?
万国共通レベルでバカ度が高い自分を褒めてやろう。


おまけにバンコクのヒンズー寺院前での販売促進活動のレポート写真を載せておこう。




















イカシた兄さんだろっ?(o^^o)
調子イイ感じ漂うのですぐにタイ人だとわかりますね。
兄さんが着ているはスタッフTシャツだ。
ワシはそれが欲しいと言ったのだが、これはスタッフ限定なので売れないと言われた。
でも、チャトカムを予約しないかと勧誘された。
いやいやいや、、、結構よ、とお断りすると、ほいじゃ友達がやっているマッサージに行かないかと割引券をくれた。
そね、そういうところに国民性が表れるわね。
だから好きよ、タイランド♪

みなさん、幸せになりますように☆ミ

2007/06/27

25. 瞑想






瞑想できますか?









私は妄想は大の得意だが、瞑想は全然出来ない。
人間が腹黒い証拠だろう。

タイのお寺で、図らずも瞑想する機会を得た。
私はあぐらが組めない。
もうその時点で苦手意識の塊である。
それを理由に、「ワシはできましぇん」とカミングアウトしようとしたが、辺りを見回すと、足を崩しながらもじっと瞑想している方がおられる。
これは断りの理由にはならんようだ。
「彼女は瞑想できないし、足にハンディキャップがあるからちょっとだけにしようね。」と、珍しく旦那が友達に伝えた。

あんた、ワシをダシにしたね。
時間短縮を企んだね。

「そうね。じゃ30分だけね。」との返事に、旦那のシドロモドロの困り顔。
30分という時間は、彼女にとってはめちゃ短い単位なのだが、初心者の我々には長すぎる。
「う、うん、そうだね、、、だいたいそんなもんでね。」と、うろたえる旦那はブラッドピットと同年だったりする。(ついでに私もだけどな。)

私はホントに初心者なので隅っこに座った。
すでに老若男女が、組んだ足に白い布を垂らして真面目に深い瞑想に入っている。
私語はもちろん慎まねばならん。
ゆっくりと準備する振りをして、ちらちらと見回せば、都会のOLっぽい綺麗なオネエサンもお金持ちそうなオバサマも、黄色いポロシャツがなかなかイカしてる庶民派のおっちゃんもイケメンの兄さんもおる。

なんで瞑想なんかしとるの?

もうこの段階で、ワシはこの場にいる資格がない。
このクソ暑いバンコクの日中に、わざわざ寺参りして瞑想する意味がわからない。
隣で友達が瞑想に入った。
その向こうで、自称:仏(ホトケ)のマコちゃんもあぐらを組み目を閉じている。
心の中で、私みたいな者がこのような神聖な場所に入ってきちゃってごめんなさいと、お釈迦様に百万回謝ることにした。
そうしたにも関わらず、「暑いな」「静かだな」「みんな信心深いな」などと要らん妄想が走る。
なんでみんな信仰心があるんだろう?
何を真面目に瞑想してるんだろう?
何かとても困り事でもあるのだろうか?
瞑想すれば救われるというのだろうか?
慈悲の心って一体なんだろう?
私が今直面している大きな試練は、信仰心を持てば乗り越えられるのだろうか?
いろんな疑問が沸いてきた。
すでに心が騒ぎ出している。
もはやこれは瞑想とはほど遠い位置関係の妄想族の集会のようなもんだ。

やはり私は、とてもキャパの小さい人間だということが実感できた。
それが、そう、それだけが、私の瞑想の成果である。

「さ、これくらいにしない?」
一番に声を掛けたのは、やはり仏のマコちゃんだった。
まだ10分くらいしか立ってねぇじゃね〜か?
「アイコ、OK?」と友達は私を気遣って切り上げてくれた。
いや、今のはどう見ても旦那のマコちゃんのギブアップだと思うのだけれど。。。(--;)
ま、いいよ、そんなこたぁ別にいいけど、、、さぁ。。。
「キミは瞑想できたかい?」
ほらね、やっぱり得意げに聞いてきた。
そういう可愛いおっちゃんなんだよな、この人は。(--;)

いえ、ワシなんか全然出来ないっすけど、あんたはどうなん?

「僕はね、ほら、キミと違ってもうバッチリよ。(^^)v」

おいおい、どこがどうバッチリなんだかゆーてみろや。

「ほら、僕の心の中の菩提心ってゆーの?わかる?その慈悲の心の種が育つようにお釈迦様が僕に栄養となる甘露を注ぐワケよ。たくさんたくさん甘露が注がれて溢れる感じを観想するって感じかな。」

おめぇよぉ〜、それって護摩法要の時にチベットの坊さんが言ってた言葉そのまんまじゃねぇ〜かよっ。。。(--;)
ついでにそれは観想であって瞑想じゃねぇっつーの!

「キミの妄想より千倍マシだと思うけどね。」

どこへ行ってもアホアホ夫婦だな。
お互いロクに瞑想もできんくせに、こんなとこにノコノコは入りこんじまったってことか。。。
バチが当たらなきゃいいな。(>_<)

少なくとも1時間、時間があれば何時間でも瞑想するという友達に尋ねてみた。

ねぇ、どうして瞑想するの?

「心がリラックスするから。
 リラックスすれば、どんなことでも良い方に向くよ。
 心をリラックスさせないと、イケナイ人間になるよ。
 そんなんじゃ、グッドラックもやって来ないよ。」

うん、ちょっとだけわかる気がする。

でも、どうやって瞑想してるんだろう?
基本的なことが私はわかっていない。
何も考えないのが瞑想なのかと思うけど、そうでもないらしい。

「気」の勉強をしている人から聞いた話だが、間違えた方法で瞑想すると瞑想した気分になるだけで、それは「無」の境地ではなく「魔」の境地、すなわち「魔境」に入ってしまうらしい。
それはとても恐ろしいことなので、素人が瞑想まがいなことをするものではないと言ってた。
きちんと瞑想の方法を指導してもらうのがホントは良いそうだ。
私には、そういう師がいないので、今まで瞑想を試みたことがない。
(逆にそういう師がいるのも怖い話だ)

ブームのヨガに行っている人に瞑想もするの?と聞いたことがある。
その教室では、毎レッスンの最後に瞑想をするという。
何を瞑想するのかと問えば、今日1日のことを一つ一つ振りかえることだと言ってた。
それって瞑想?
回想じゃないの?
ま、お教室のヨガだとそんなもんなのかもしれない。
ヨガは喩我であり、その最高の修行は瞑想なのに、ブームに乗るのは美容体操もどきばかりだ。
本質を伝えると宗教がかってしまうので、そうなると敬遠されてしまう。
私の知っているヨガの先生達は、ちゃんと本質も勉強している人たちなので、この辺りの匙加減が難しく、健康体操でも良しと割り切って活動していると言ってた。
呼吸法の大切さを伝えるだけでも本質の一部に触れることにはなるのだから。

あぐらが組めないとか、時間がないとか、私は今まで逃げてばかりいた。
少しの時間でも心を落ち着かせる時間を持つことの大切さを身を持って知ったのだから、これからは正しい方法を勉強して実践してみようと思った。

そしてタイへ行くたびに、私はお寺に出向くことにしよう。
たとえ瞑想する時間がなくても、そこに行けばリラックスする。
人が本当に望んでいるものが何なのか、言葉にできない答えがそこにはある。
人の優しさやふれあいの大切さが、それを教えてくれることだろう。

2007/06/19

24. カラオケ

カラオケは好きですか?
ワシは嫌いじゃないけど、昭和の歌しか歌えないコンプレックスと時間がないという物理的問題において、あまりカラオケには行かない。
そう、日本ではの話し。

こんなワシでもチェンマイで2回、バンコクで2回、流れに乗ってカラオケに行ってしまった。
タイのカラオケにも数種類あることを知った。

まず、バンコクのショッピングセンターの隅においてあるカプセルカラオケ。
日本で言うと、ゲーセンにカラオケが置いてあるような感覚だ。
ショッピングのついでに楽しもうみたいな軽いノリだ。
カプセル型のもあれば、ちょっとした部屋構造になっているのもあるし、仕切りも何もないところでノリノリで歌っていたりするのもある。
これらはほとんどが防音効果がない。
外に丸聞こえだ。
学校の休みの時は小学生がお得意様のようで、小さなカプセルに4〜5人入りこんで興じている。
タイポップスに限らず、子ども達の間ではコリアポップスもメジャーなようだ。
韓流、恐るべし!

大きなカラオケボックスもタイにはある。
日本のものとよく似ている。
これらは主に若い子たちがお得意様のようだ。
タイの歌の他にも英語も日本語も中国語も韓国語も意外とヒットソングが満載だ。
ワシはチャイナドールをこれで覚えた。
あんまり自慢にはなりゃしない。

よくあるのは、なんだかエロエロな匂いのするカラオケだ。
カラオケが置いてあるだけで、システムはなんらゴーゴーバーと変わらない。
場末っぽくなればなるほど、オネエチャン達の密着率とお持ち帰り可能率も高くなる。
こんなカラオケも行ったことがある。
そこのオーナーさんとちょっと知り合いになったので、軽く接待を受けたというノリだ。
ワシの性別が一応女なので、部屋に入るとビールをついでくれるオネエチャンだけが入ってきた。
そこのカラオケマシーンは意外とハイテクで日本語の歌が充実していた。
・・・やはり日本のおっさんがお得意様なのだろう。
違う部屋をのぞくと、お一人様に付きお二人くらいオネエチャンを侍らせて、嬉しそうに興じているおっさん連中がはしゃいでいた。
確かに、日本じゃそんな可愛い女の子がそのお値段であんたにはチヤホヤしてくれんでな・・・(--;)
お金で解決の大人の社交場だ。

チェンマイではローカルな人だけが集まるカラオケにも行った。
仲良しになった兄さんが連れて行ってくれた。
ピン川沿いではあるがローカルな側にある大きなステージ付きのカラオケだ。
土日は満員になるらしいが、かなりな席数を持つ野外レストランって感じだ。
そこは、テーブルに番号があり、その順番で歌う番が回ってくる。
例えば4人席で混んでいたら、テーブルの1人が2曲までしか歌えない。
続けて同じテーブルの人が歌うのは出来ず、次のテーブル順を待つ。
2曲を分けて1人1曲ずつというのもありだが、みんな歌いに来ているので、持ち歌2曲は暗黙の了解らしい。
空いていれば、2人まで歌える。
2曲ずついいので、1テーブル4曲までいい。

そこのカラオケは、ステージの横にDJみたいな人がいて、その人に曲名を申告すればカラオケをセットしてくれる。
そんでもって、DJの前にはマイクやタンバリンやマラカスもあって、コーラスやノリノリ部隊は彼が1人でこなしてくれる。
ステージに上がって歌う人も、自分で前説を入れたり歌の終わりに一言あったりで、まるで歌手の気分が味わえる。
もちろんレストランなので食べ物は何でもあり、飲み物も何でもありだ。
真面目に歌いたい人だけが集まるようだ。
歌声喫茶みたいな感じというか、なんというか、、、、嬉しそうに歌っている姿がちょっとイタイ感漂う。
でも、おもしろい。
日本の歌はないと言われて諦めたが(意外とステージに立つ気満々だったわけだな)、日本の歌が普通にタイ語の歌に変わっているのを発見した。
一緒に行った兄さんが歌った中に、どう聞いても渥美二郎の「夢追い酒」と喜納昌吉の「花」があった。
それは日本の歌でしょ?と聞いても、タイの歌手の歌だという。
うまいことリメイクされてんだなぁ。。。。
あゆや嵐の歌は、彼らの歌として日本の歌として認識されてんのに、、、ねぇ。。。(>_<)
今度あのレストランに行ったら、DJに鼻歌をきかせてテレサテンを出してもらおう。

バンコクのローカル食堂では、意外とカラオケマシーンがあったりする。
その場合は全部タイ語の歌でタイ人が楽しそうに歌っている。
ワシは普通にメシ食いにきただけなんだけど、へたくそなタイ人の歌声をきかせられる羽目に合う。

不測の事態に備えてやはりタイ語の歌を一曲くらいは歌えるといいだろう。
ワシにとっては最近の日本の歌を覚えるのもタイ語の歌を覚えるのも使う労力は同じようなもんだ。
どちらも外国語にしか聞こえないのだから。

2006/09/08

15. シンスカート

ラオスの民族衣装の代表選手はやっぱり「シン」と呼ばれるスカートじゃないかと思う。

シンって?う〜んとそうだね、シンはロング巻きスカートのようなものです。
昔の作りはロンジーやインドネシアのバティックのように、布を巻き付けるだけだったかもしれないけど、シンはきちんとスカートに仕立ててあるからすばらしい。
ウエスト芯を入れて留め具のフックもしっかりついている。

小学生の女の子の制服は、白い開襟シャツと紺色のシンスカート。
子供のシンはちょっと短めだけど、昔のセーラー服のスカートよりはずっと長い。
日本だって小学生の制服で着物なんてところはないよなぁ。
今時、民族衣装を制服に残しているところがなんとも良い。

このスカートは実は男性もはく。
キョービの殿方は普通のズボンだけど、少しお年を召したおじいさんは、ちゃんとシンスカートはいてる。
男性は女性に比べて少し短めだ。
これが以外に格好いい!
仕立て代込み10ドルで 私と旦那はシンを作ってもらった。
全体の素材はコットンで裾の刺繍の部分はラオスの浮き織りで。
私が似合うのは当たり前っちゃ〜当たり前だけど、旦那さんがまたまたイイ感じに似合ってしまったのがちょっと笑えた。

彼はシンをはいたままラオスからチェンマイへ移動した。
隣り合わせになった外人さんは、「ビューティフル!」と賞賛してくれた。
ラオス人はシンスカートをはいた彼にとっても優しかった。
「おい、兄さん、シンはいてるのか?ははは。どう?着心地はいいか?」とみんなが話しかけてくれた。
変わり者の日本人と思ったのかもしれない。

郷に入っては郷に従うのが、小さな国際親善であることは間違いない。

2006/09/07

3. 足もみVS足ツボ

足もみマッサージと足ツボマッサージは、私の中では、似て異なるものである。

前者は俗にいうタイ式、後者は台湾式と私の中では位置づけられている。

アジアの街角では、バリバリ日本人をターゲットにているのが丸判りで恥ずかしくなるくらい、思いっきり日本語のマッサージメニュー看板を見かける。
ツーリストの多いところでは、探さなくても目に飛び込んでくる。
日頃ウォーキングで鍛えているとはいえ、歩き慣れない道や旅の疲れが、マッサージ=気持ちいい〜と頭の中で勝手に図式され、ドアの前に立つ人は少なくないだろう。
メニューコースも足・肩・腰・全身、アロマ・タイ古式なんて、いくつかあって、時間と料金が表示されている。
ほとんどの人は、ま、話のタネ程度に30分〜1時間くらいのフットマッサージをセレクトすると思う。

まずは、靴・靴下を脱いで、桶や洗面器にためたお湯(ハーブや薬草が入っていたりする)に足をひたして、マッサージをしてくれる人が指の股まできれいに洗ってくれる。
もうこの時点で、気持ちは天国への階段を上っている。
よそ様に自分の汚い足を洗ってもらうだけで、申し訳ない思いと、殿様気分が交錯するものだ。
次は、お店によって多少違うが、だいたい、あと回しの方の片足に先にタイガーバームみたいなものを擦り込んで、タオルでぐるぐる巻きにしてねかせる
これが、足を洗ってもらうより更に気持ちいい。
あと回しの方でも、これほど気持ちよいのだから、スタンバッている方に期待が膨らむ。

ところが・・・・、ここから先、足もみと足ツボで天国と地獄ほど差が出るのだ。

足もみは本当に気持ちいい。
よだれ垂らして寝こけてしまうくらい気持ちいい。
リンパにそって、つぼをおさえて、時々お箸のようなスティックをつかって攻めてくるのだが、この刺激が非常に心地よい。
最後は両足の付け根のリンパまで重みをかけて、血の流れをよくしてくれる。
さすが、タイ古式マッサージの伝統はすばらしい。

さて、足ツボだった場合、店の人が足ツボマップの絵を用意してくれる。
それには、ツボ位置に番号がふられ、その番号の効く場所や弱っている場所なんかの説明書きがのっている。
ふ〜ん、と思って見ていると、急に悲鳴をあげるほどの痛みが襲ってくる。
「イッテェ〜イテイテ、イッテェ〜!!」と声を上げ、先ほどもらった絵で痛い場所を確認することを自分に言い聞かせるためか「どこが痛いんだよ〜?!」なんて大きな独り言を漏らしたりすると、マッサージ師がにやりと笑って、日本語で「肩。」と冷静に答えてくれる。

足ツボは弱っている場所のツボを押さえられると激痛が走るほど痛い。
でも、そのかわり、どこも悪くなければ、痛くなくて気持ちいいらしい。
らしい・・・と言うのは、あいにく私は痛いところだらけのため、足ツボで夢見心地体験をしたことないからだ。
「イッテェ〜!」 「目」
「イッテェ〜!」 「肩」
「イッテェ〜!」 「首」
「イッテェ〜!」 「気管支」
「イッテェ〜!」 「腰」
「イッテェ〜!」 「股関節」
「イッテェ〜!」 「膝」
少なくともこの7ツボは常時アカンのだ。
ときには、「子宮」とか「卵巣」とか「前頭葉」とか答えられ、うさんくささ倍増でマッサージ師がただのサディストに見えてくることもある。

しかし、足ツボは後で効く。
体が軽くなったと感じる時間が長い。
う〜ん、おそるべし、中国4000年の歴史。

ただ、店構えだけで、そこが足もみなのか足ツボなのかはっきり区別することができないお店が多い。
どっちにしても期待倒れだったりすることはよくある。

ま、そういうときは「マイペンライ」と笑って許してあげよう。

2. お風呂

私は割と生活環境に対する順応性が高い方だ。
たとえば、食事は手で食べるものだと言われれば、何の躊躇もなく手で食べる。
手動水洗トイレならば、手桶に水をくんで流すこともできる。
郷に入れば郷に従うことが、別に何のためらいもなくできる。
で、割と平気なので、今までの習慣は一体何の意味があったんだろう?と考えてしまうこともよくある。

そんな私でも、これだけは絶対日本が勝ち!と思うことが一つだけある。
それは、お風呂。
日本人は本当にきれい好きだ。
家にいるときは、恥ずかしい話だが、私はカラスの行水女だ。
「もう出たんかい?」と聞かれるほど、入浴時間は短い。
短いのだから、さっさと入ってしまえばいいのに、お風呂に入るのが嫌だ。
あー、モン族に生まれればよかったな。。。と真剣に思ったことさえある。
なぜに風呂が嫌いかというと、眠気が覚めてしまうから。
湯船につかっているときは非常に眠たくて、何度溺れそうになったかわからない。
でも、あがってしまうと、目が冴え冴えで眠れないのだ。

これほど風呂嫌いの私でも、外国に行くと日本のお風呂が恋しくて恋しくて仕方ない。
矛盾してる?なんでやねん?
汗と埃にまみれた体では、さすがの私でも毎日お風呂に入りたくなるものですよ。
ホテルにバスルームはついている。
でも、温かいシャワーに必ず当たるとは限らない。
仮に温かいお湯が出てバスタブに張ることができても、そこからが入浴気分不完全燃焼なのだ。

まず、あのバスタブっていう西洋式の長いやつが嫌い。
いくら足が伸ばせても、なんだか寒くなってくる。
やっぱお風呂は、肩までざっぷりつかって垢をふやかさにゃあかんでしょ。
体操座りしかできない湯船でもかまわない。
熱いお湯をたっぷり張ってアゴまでつかってみたい衝動にかられるのだ。
それから、いただけないのが、洗い場がないところ。
このバスタブの中だけですべてを完了させるというのが気にいらない。
シャワーヘッドが自由に動かせるのならまだマシだけど、固定式のところだったりすると、私の足元はホントにきれいになったのかどうか自信がなくなる。
日本のお風呂は何人も同じお湯に入って不衛生という人もいるけれど、私にしてみれば、洗い場のないバスルームの方が、いかがなものかと思われます。

この不完全燃焼を解決するために、洗面器を持参したことがある。
でも、やっぱ洗面器じゃ役立たずだった。
ないよりはマシ程度だった。
なんでこんなん持ってきたの?と旦那さんにも呆れられてしまった。
かさばって邪魔だから二度と持って来ないよう約束もさせられてしまった。

やっぱりお風呂は日本の誇れる文化だ。

でも、公衆浴場と温泉は苦手だ。