雨季が明けたネパールはウエディングシーズンに入るらしい。
12月の上旬に訪れたカトマンズはシーズン真っ盛りだった。
結婚式そのものを見たことはないが、結婚式の大盤振る舞いに出会った。
タメルチョークあたりで、なにやら吹奏楽団が演奏パレードをしていたのだ。
どこかのデパートのオープンなの?
選挙活動の一環なの?
一体なんの騒ぎで、この場所にふさわしくないカッコイイ制服姿の吹奏楽団がパレードしてるの?
聞けば、タメルに住む人のところで結婚式があったそうだ。
結婚式があると、近隣の人々に食事やお酒が振る舞われる。
人数制限がないから、パレードを聞きつけて少し離れたところからでもお祝いにやって来る。
そしてごちそうをいただくのだという。
なんと、太っ腹な!
盛大な結婚式で有名な名古屋でも、見ず知らずの人には、せいぜい嫁菓子をまくくらいで済ませちゃうのにね。
(ちなみにその昔、私も嫁菓子まきました。お恥ずかしい。。。)
かわいい娘や息子のために、大パレードをする人は見たこと無いぞ。
引き出物は豪勢だけど、それだって式に出席した人に限られるものだぞ。
ウエディングシーズンは、いたるとこでパレードやごちそうがふるまわれるそうじゃ。
懐が深いのう。。。
シーズンに関係なくやってくる儀式はお葬式だ。
タメルからはずれた街道で、お葬式の行列を見たことがある。
小さいシンバルのようなものや鈴や鼓のような太鼓をチャカポコガチャラ〜ンと鳴り響かせながら演奏する人の後を、数人の男たちが、担架を頭の上に持ち上げて運んでいく。
そこには亡くなった人が乗っている。
その後を遺族が歩く。
その後を女衆が歩く。
みな裸足で、何やら思い思いに唱えながら、そして泣きながら行列をなして行く。
ヒンズー式だと教えてもらった。
親族だけじゃなく、近所の人も行列に参列しているそうだ。
裸足でね、みんな裸足でね。
身にまとったサリーもいつもなら鮮やかなものなのだろうけど、本当に色を感じないものだった。
葬祭用の衣装ってあるんだね。
渇いた街にほこりを舞い上げながら行列が行く。
パレード好きなのだろうか、ネパール人って。。。
2006/09/08
17. 最期のとき
旦那に言わせると、悪趣味この上ないそうだが、私はヒンズーの火葬の風景が好きだ。
荼毘に伏していく煙をガートの対岸で眺めているのが好きだ。
肉体の消滅を目の当たりにすると、不思議と生きていることを実感する。
パシュパティナートのガートは、川の上流から階層が分かれていて、上の方は王室関係の方々のガートなので一般ピープルが拝見することはできない。
普通にお目にかかれるのは、下流の3つくらい。
説明が遅れたが、パシュパティナートというのは、カトマンズ市内にあるヒンズー教徒の火葬場だ。
ネパール観光ルートの一つにもなっていて、外国人は入り口で入場料を払えば誰でも入場することができる。
川をはさんでガート(死体焼き場)のある方は寺院になっている。
対岸は見物できる堤防になっていて、その背面はサドゥー(修行者)たちの宿場にもなっているところだ。
不思議なもので、いつもどなたかが火葬されているので、少し待っていれば次々と火葬風景を見ることができる。
運良く、運ばれたばかりの遺体に遭遇できた。
日本では霊柩車にのせて重々しく運ばれて、火葬場職員もスーツを着て、遺族に無礼のないような対応を心がけていると思う。
しかし、運ばれてきた方は、棺桶じゃなく段ボール箱に入って、普通のライトバン(しかもボロボロ)に乗せられてやってきた。
遺体を火葬する職員はなんともラフな普段着で、4人1チームで動いているようだった。
遺族たちは、運ばれてきた人が生前大切にしていたモノなどを身につけさせてあげる。
キャンプファイヤーの台上みたいなものがガートの上に作られ、そこに寝ころばされた遺体は黄色いような布にくるまれて、遺族と最後の別れをする。
別れの儀式はいとも簡単に済まされる。
4人1チームの職員は、ヒンズーの儀式にのっとって火葬を進めていく。
聖水をふりかけたり、ガートの回りを何周か回ったりして、台の下に薪や藁が寄せられて着火となるのだ。
てきぱきと火葬が進められていく前の川では、前の燃えかすの薪を一輪車で集める親子が忙しく働いている。
子供たちが遺体が身につけていたお宝を川の底から広い集めている。
程度のイイ物はどこかの露店で売られるのだろう。
堤防の真下には水道口がある。
サドゥーが手や顔を洗ったり、水を飲んだりしている。
近所の食堂のオネエサンが汚れた食器を川ですすぎ、水道で洗い流している。
サリーをまとったおばさんが、石鹸一つ持ってやって来て、おもむろに脱ぎだし、川で沐浴した後、サリーを洗濯しだした。
堤防に干して乾かしている間、長い黒髪を洗濯したのと同じ石鹸でシャンプーしていた。
川はあまり深くないと思う。
深いところでも膝〜腰くらいだろう。
今から最後の儀式をしようというその向こうで、ありふれた日常がざわざわと動いている。
堤防に座っている観光客は写真を撮ったりビデオを撮ったり。
「確かにここは観光地だけど、人が焼かれる様子をビデオに撮ってしまうのは、ふとどき千万なヤツめ!バチが当たるぞ!」と旦那にぽそっと漏らしたら、「悪趣味なあんたは人のこと言えん。目くそ鼻くそ、五十歩五十一歩だ!」と言われた。
小柄な人で2時間くらいで火葬される。
途中、職員さんが焼け加減を確認して、レアだと固形燃料のようなものを追加投入する。
焼き終わった遺体は、棒でつついて川へ落とす。
お宝探しの子供たちと薪拾いの親子が群がる。
ガートのものはすべて落とされ、また新しい台が設置されて新客が入る。
対岸で火葬風景を興味深げに見る観光客。
洗濯や炊事、洗顔、はみがきをする人々。
川底を掃除する人たち。
火葬場なのに、営まれている生ばかりが気になってしまった。
荼毘に伏す煙は、ネパールの渇いた空気に溶けていく。
さっきまで暑かったのに、なんだかブルッと小寒くなってきた。
時間の流れは空気が教えてくれる。
でも、なんかいいなぁ。
最期のときを涙だけで飾ることなく、これからの活力に変えていく力を与えてくれているような気がする。
遺族の方も泣いてばかりじゃいられない。
悲しみは悲しみだけど、これから生きて行かなくちゃ。
母さんは家に帰ってダルを作らなくちゃ。
今日があることに感謝して、未来が幸せであることを願ってお寺に行かなくちゃ。
形式ばかりにとらわれて行われる法要もここにはない。
信ずる神様があるから。
肉体は消滅しても、残された家族がいるということは、その人が生きた最大で最高の証のような気がした。
金品や財産を残さなくとも、自分を覚えていてくれる人がわずかでもいるということは、とっても幸せなんだろうな。
生と死は隔離されることなく、いつも隣り合わせなんだろうね。
荼毘に伏していく煙をガートの対岸で眺めているのが好きだ。
肉体の消滅を目の当たりにすると、不思議と生きていることを実感する。
パシュパティナートのガートは、川の上流から階層が分かれていて、上の方は王室関係の方々のガートなので一般ピープルが拝見することはできない。
普通にお目にかかれるのは、下流の3つくらい。
説明が遅れたが、パシュパティナートというのは、カトマンズ市内にあるヒンズー教徒の火葬場だ。
ネパール観光ルートの一つにもなっていて、外国人は入り口で入場料を払えば誰でも入場することができる。
川をはさんでガート(死体焼き場)のある方は寺院になっている。
対岸は見物できる堤防になっていて、その背面はサドゥー(修行者)たちの宿場にもなっているところだ。
不思議なもので、いつもどなたかが火葬されているので、少し待っていれば次々と火葬風景を見ることができる。
運良く、運ばれたばかりの遺体に遭遇できた。
日本では霊柩車にのせて重々しく運ばれて、火葬場職員もスーツを着て、遺族に無礼のないような対応を心がけていると思う。
しかし、運ばれてきた方は、棺桶じゃなく段ボール箱に入って、普通のライトバン(しかもボロボロ)に乗せられてやってきた。
遺体を火葬する職員はなんともラフな普段着で、4人1チームで動いているようだった。
遺族たちは、運ばれてきた人が生前大切にしていたモノなどを身につけさせてあげる。
キャンプファイヤーの台上みたいなものがガートの上に作られ、そこに寝ころばされた遺体は黄色いような布にくるまれて、遺族と最後の別れをする。
別れの儀式はいとも簡単に済まされる。
4人1チームの職員は、ヒンズーの儀式にのっとって火葬を進めていく。
聖水をふりかけたり、ガートの回りを何周か回ったりして、台の下に薪や藁が寄せられて着火となるのだ。
てきぱきと火葬が進められていく前の川では、前の燃えかすの薪を一輪車で集める親子が忙しく働いている。
子供たちが遺体が身につけていたお宝を川の底から広い集めている。
程度のイイ物はどこかの露店で売られるのだろう。
堤防の真下には水道口がある。
サドゥーが手や顔を洗ったり、水を飲んだりしている。
近所の食堂のオネエサンが汚れた食器を川ですすぎ、水道で洗い流している。
サリーをまとったおばさんが、石鹸一つ持ってやって来て、おもむろに脱ぎだし、川で沐浴した後、サリーを洗濯しだした。
堤防に干して乾かしている間、長い黒髪を洗濯したのと同じ石鹸でシャンプーしていた。
川はあまり深くないと思う。
深いところでも膝〜腰くらいだろう。
今から最後の儀式をしようというその向こうで、ありふれた日常がざわざわと動いている。
堤防に座っている観光客は写真を撮ったりビデオを撮ったり。
「確かにここは観光地だけど、人が焼かれる様子をビデオに撮ってしまうのは、ふとどき千万なヤツめ!バチが当たるぞ!」と旦那にぽそっと漏らしたら、「悪趣味なあんたは人のこと言えん。目くそ鼻くそ、五十歩五十一歩だ!」と言われた。
小柄な人で2時間くらいで火葬される。
途中、職員さんが焼け加減を確認して、レアだと固形燃料のようなものを追加投入する。
焼き終わった遺体は、棒でつついて川へ落とす。
お宝探しの子供たちと薪拾いの親子が群がる。
ガートのものはすべて落とされ、また新しい台が設置されて新客が入る。
対岸で火葬風景を興味深げに見る観光客。
洗濯や炊事、洗顔、はみがきをする人々。
川底を掃除する人たち。
火葬場なのに、営まれている生ばかりが気になってしまった。
荼毘に伏す煙は、ネパールの渇いた空気に溶けていく。
さっきまで暑かったのに、なんだかブルッと小寒くなってきた。
時間の流れは空気が教えてくれる。
でも、なんかいいなぁ。
最期のときを涙だけで飾ることなく、これからの活力に変えていく力を与えてくれているような気がする。
遺族の方も泣いてばかりじゃいられない。
悲しみは悲しみだけど、これから生きて行かなくちゃ。
母さんは家に帰ってダルを作らなくちゃ。
今日があることに感謝して、未来が幸せであることを願ってお寺に行かなくちゃ。
形式ばかりにとらわれて行われる法要もここにはない。
信ずる神様があるから。
肉体は消滅しても、残された家族がいるということは、その人が生きた最大で最高の証のような気がした。
金品や財産を残さなくとも、自分を覚えていてくれる人がわずかでもいるということは、とっても幸せなんだろうな。
生と死は隔離されることなく、いつも隣り合わせなんだろうね。
16. カトマンズ
カトマンズはネパール王国の首都である。
そう、首都なんだよね。
なのにさぁ、なのにさぁ、空港から中心地へ向かう道は未舗装が多い。
乾いた空気、埃っぽい道、日干しレンガ造りの家々、何するでもなく通りを行く人々。
一国の首都がこれでいいのか?と思ってしまう。
私たち貧乏旅行者だけじゃなく、他国のVIPもこの道を通って王宮に向かうのだという。
ここまで庶民の暮らしが丸見えの道路を通っていくのでせうか。。。
ヒンズーの人たちの火葬場パシュパティナートでは、今日も誰かが亡くなったんだとわかる煙を上らせている。
肉屋の前には、山羊の頭だけが恨めしそうな眼で台の上に並んでいる。
その横には、胴体と手足が皮をはがれてごろりと横たわっている。
注文を受けてから、ぶつぶつと大きな包丁で解体していく。
上の棚からは、まだ羽のついたにわとりが、何匹か首のところで束になって吊り下がっている。
眼をとじているのが、なんとも嘆かわしい感じがする。
サリーをまとったおばさんたちが、地べたに座ってたらいに盛った野菜をよっている。
おばさんの向かい側から、犬も鼻先で識別している。
窓からそんな光景を眺めながら、車は中心地へ向かっていくのだ。
東側のアジアとは、全く異なる気候と民族と習慣が色濃く残っている。
傾きかけたレンガの家とぼこぼこの道路はうす茶色の景色にかすんでいるが、色鮮やかなサリー、色彩豊かなトビー帽、浅黒い肌に彫りの深い顔立ちの人々、赤い額、明らかにここは私たちの住んでいるアジアとは違う。
日本人と顔立ちがよく似ているチベット人も多い。
私はいつも「チベット人でしょ?」と間違えられる。
ヒンズーのお寺だけでなく、チベット仏教のお寺もたくさんある。
仏教のお寺だが、その極彩色の艶やかさに圧倒される。
侘び寂び文化のしっとり落ち着いた日本のお寺とは異なるのだ。
金々ギラギラの東南アジアのお寺とも異なる。
東・東南アジアのほとんどの国が、ここは東京?と間違うほど近代的に発展している。
少なくとも、一国の首都と名を飾るところは、せめてそこだけでも都市の暮らしがうごめいている。
でも、カトマンズは違う。
精一杯の近代化をしているのだろうが、アジアらしい匂いが空気だけじゃなく、人にも物にも風景にも溢れている。
そんなネパールの入り口、カトマンズ。
なんともわかりやすい縮図がそこにはある。
人間の生活の匂いが音がぬくもりが 、そして現実がそこにはある。
なんともアジアらしい空気がそこにはある。
カトマンズは、もちろん大好きな街の一つだ。
嘘ついたり騙したり、あわよくば・・・と思う素直な感情がストレートに伝わってくる。
なのにどこか憎めない。
外見ばかりとりつくろい、国民総中級以上の暮らしをしているのにまだまだ見栄えのよいことに拘って、贅沢を言えばキリがないのにリッチな雰囲気や生活に渇いた欲望を持ち続ける日本。
同じ時の流れの中に生きている人間同士なのに。
物の豊かさも確かに大切だとカトマンズに来ると切実に思う。
しかし、心の豊かさもそれ以上に大切なのではないかと感じてならない。
感じずにはいられない街なのだ。
そう、首都なんだよね。
なのにさぁ、なのにさぁ、空港から中心地へ向かう道は未舗装が多い。
乾いた空気、埃っぽい道、日干しレンガ造りの家々、何するでもなく通りを行く人々。
一国の首都がこれでいいのか?と思ってしまう。
私たち貧乏旅行者だけじゃなく、他国のVIPもこの道を通って王宮に向かうのだという。
ここまで庶民の暮らしが丸見えの道路を通っていくのでせうか。。。
ヒンズーの人たちの火葬場パシュパティナートでは、今日も誰かが亡くなったんだとわかる煙を上らせている。
肉屋の前には、山羊の頭だけが恨めしそうな眼で台の上に並んでいる。
その横には、胴体と手足が皮をはがれてごろりと横たわっている。
注文を受けてから、ぶつぶつと大きな包丁で解体していく。
上の棚からは、まだ羽のついたにわとりが、何匹か首のところで束になって吊り下がっている。
眼をとじているのが、なんとも嘆かわしい感じがする。
サリーをまとったおばさんたちが、地べたに座ってたらいに盛った野菜をよっている。
おばさんの向かい側から、犬も鼻先で識別している。
窓からそんな光景を眺めながら、車は中心地へ向かっていくのだ。
東側のアジアとは、全く異なる気候と民族と習慣が色濃く残っている。
傾きかけたレンガの家とぼこぼこの道路はうす茶色の景色にかすんでいるが、色鮮やかなサリー、色彩豊かなトビー帽、浅黒い肌に彫りの深い顔立ちの人々、赤い額、明らかにここは私たちの住んでいるアジアとは違う。
日本人と顔立ちがよく似ているチベット人も多い。
私はいつも「チベット人でしょ?」と間違えられる。
ヒンズーのお寺だけでなく、チベット仏教のお寺もたくさんある。
仏教のお寺だが、その極彩色の艶やかさに圧倒される。
侘び寂び文化のしっとり落ち着いた日本のお寺とは異なるのだ。
金々ギラギラの東南アジアのお寺とも異なる。
東・東南アジアのほとんどの国が、ここは東京?と間違うほど近代的に発展している。
少なくとも、一国の首都と名を飾るところは、せめてそこだけでも都市の暮らしがうごめいている。
でも、カトマンズは違う。
精一杯の近代化をしているのだろうが、アジアらしい匂いが空気だけじゃなく、人にも物にも風景にも溢れている。
そんなネパールの入り口、カトマンズ。
なんともわかりやすい縮図がそこにはある。
人間の生活の匂いが音がぬくもりが 、そして現実がそこにはある。
なんともアジアらしい空気がそこにはある。
カトマンズは、もちろん大好きな街の一つだ。
嘘ついたり騙したり、あわよくば・・・と思う素直な感情がストレートに伝わってくる。
なのにどこか憎めない。
外見ばかりとりつくろい、国民総中級以上の暮らしをしているのにまだまだ見栄えのよいことに拘って、贅沢を言えばキリがないのにリッチな雰囲気や生活に渇いた欲望を持ち続ける日本。
同じ時の流れの中に生きている人間同士なのに。
物の豊かさも確かに大切だとカトマンズに来ると切実に思う。
しかし、心の豊かさもそれ以上に大切なのではないかと感じてならない。
感じずにはいられない街なのだ。
15. シンスカート
ラオスの民族衣装の代表選手はやっぱり「シン」と呼ばれるスカートじゃないかと思う。
シンって?う〜んとそうだね、シンはロング巻きスカートのようなものです。
昔の作りはロンジーやインドネシアのバティックのように、布を巻き付けるだけだったかもしれないけど、シンはきちんとスカートに仕立ててあるからすばらしい。
ウエスト芯を入れて留め具のフックもしっかりついている。
小学生の女の子の制服は、白い開襟シャツと紺色のシンスカート。
子供のシンはちょっと短めだけど、昔のセーラー服のスカートよりはずっと長い。
日本だって小学生の制服で着物なんてところはないよなぁ。
今時、民族衣装を制服に残しているところがなんとも良い。
このスカートは実は男性もはく。
キョービの殿方は普通のズボンだけど、少しお年を召したおじいさんは、ちゃんとシンスカートはいてる。
男性は女性に比べて少し短めだ。
これが以外に格好いい!
仕立て代込み10ドルで 私と旦那はシンを作ってもらった。
全体の素材はコットンで裾の刺繍の部分はラオスの浮き織りで。
私が似合うのは当たり前っちゃ〜当たり前だけど、旦那さんがまたまたイイ感じに似合ってしまったのがちょっと笑えた。
彼はシンをはいたままラオスからチェンマイへ移動した。
隣り合わせになった外人さんは、「ビューティフル!」と賞賛してくれた。
ラオス人はシンスカートをはいた彼にとっても優しかった。
「おい、兄さん、シンはいてるのか?ははは。どう?着心地はいいか?」とみんなが話しかけてくれた。
変わり者の日本人と思ったのかもしれない。
郷に入っては郷に従うのが、小さな国際親善であることは間違いない。
シンって?う〜んとそうだね、シンはロング巻きスカートのようなものです。
昔の作りはロンジーやインドネシアのバティックのように、布を巻き付けるだけだったかもしれないけど、シンはきちんとスカートに仕立ててあるからすばらしい。
ウエスト芯を入れて留め具のフックもしっかりついている。
小学生の女の子の制服は、白い開襟シャツと紺色のシンスカート。
子供のシンはちょっと短めだけど、昔のセーラー服のスカートよりはずっと長い。
日本だって小学生の制服で着物なんてところはないよなぁ。
今時、民族衣装を制服に残しているところがなんとも良い。
このスカートは実は男性もはく。
キョービの殿方は普通のズボンだけど、少しお年を召したおじいさんは、ちゃんとシンスカートはいてる。
男性は女性に比べて少し短めだ。
これが以外に格好いい!
仕立て代込み10ドルで 私と旦那はシンを作ってもらった。
全体の素材はコットンで裾の刺繍の部分はラオスの浮き織りで。
私が似合うのは当たり前っちゃ〜当たり前だけど、旦那さんがまたまたイイ感じに似合ってしまったのがちょっと笑えた。
彼はシンをはいたままラオスからチェンマイへ移動した。
隣り合わせになった外人さんは、「ビューティフル!」と賞賛してくれた。
ラオス人はシンスカートをはいた彼にとっても優しかった。
「おい、兄さん、シンはいてるのか?ははは。どう?着心地はいいか?」とみんなが話しかけてくれた。
変わり者の日本人と思ったのかもしれない。
郷に入っては郷に従うのが、小さな国際親善であることは間違いない。
14. モン族
自由の民、モン族。
タイではメオ族と言われることも多いが、これは彼らにとっては大変不愉快なことだ。
タイ人がモン族を差別的に馬鹿にした呼び方なのだ。
タイで仕事をすると、モン族物を扱う店主がタイ人の場合、「これはメオね。」と説明してくれる。
モン族の人や他の少数民族の人、または勉強している店主の場合、「これはモンね。」と説明してくれる。
モン語で「モン」は「自由」を意味するそうだ。
自らを自由の民と名乗る民族なのだ。
モン族の分布はとても広い。
タイ・中国・ラオス・ベトナムの山岳地に多く住んでいる。
その伝統的な民族衣装に表れる手工芸によって、白モン族・青モン族・黒モン族と区別できる。
(花モン族というのもあるそうだが、白モン族の一派のようだ)
自由の民と称する民族なのだが、歴史的に見ると悲しい出来事が多い。
「モン族の悲劇」という本も出ているが、資料によれば、ベトナム戦争で亡くなったモン族は20数万人といわれ、ベトナム戦争で亡くなった米軍兵士の4倍弱だという。
ラオス北渓からホーチミンへと続く「ホーチミンルート」があったのだ。
最前線の特殊部隊として使われた歴史は、第1次インドシナ戦争から第3次インドシナ戦争まで続く。
アメリカ軍、フランス軍、北ベトナム軍、ベトミン軍などに利用された。
アメリカ軍は、サイゴン陥落した時、多くのモン族兵士を見捨てたそうだ。
見捨てられた兵士はメコン川を泳いで逃げたそうだ。
しかし、いかんせん、山岳民族であるモン族は泳げない。
たくさんのモン族兵士の遺体が、メコンの岸に上がったそうだ。
ラオスでは、今も反政府ゲリラとして闘っているモン族がいる。
爆弾をしかけたり、ツーリストバスを襲ったりする。
アメリカのミズーリー州にはモン族の村がある。
たくさんのモン族が住み、モン語を教えてるよって、飛行機で席が隣だった国連に勤める日系人のお姉さんが言ってた。
ラオスやベトナムのマーケットでは、モン族の少女たちが値段交渉の役目を果たしている。
彼女たちはスゴイ。
何がスゴイってビジネスに関わることなら何カ国語か喋れるのだ。
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・中国語・日本語・韓国語・タイ語・ベトナム語・ラオス語・・・・・。
8〜15歳くらいの少女たちだ。
ゲリラも、やり手の値段交渉をするのもモン族。
未だに伝統的な暮らしをしているモン族もいる。
生まれたところによって、同じモン族でも生き方は違うのだ。
これが21世紀の現実なんだろう。
私はモン族の手工芸が大好きだ。
ろうけつ染めの渋さもいい。
シルバーの大胆なデザインもいい。
芸術作品とも言える刺繍の模様と色使いは本当にすばらしい。
自由な精神と一緒にずっと伝えていってほしい。
私の宝物の一つに、青モン族の人形がある。
女の子たちが針仕事の練習として作ったものだ。
これを作った女の子が一つ一つ説明してくれた。
「これ、お父さん、パパね。これ、お母さん、ママね。これ、お姉さん。これ、お兄さん。これはベイビー、赤ちゃんね。そしてコレは、パパの愛人ね!コレはママの愛人ね!」
一体この子に日本語を教えたのは誰?
タイではメオ族と言われることも多いが、これは彼らにとっては大変不愉快なことだ。
タイ人がモン族を差別的に馬鹿にした呼び方なのだ。
タイで仕事をすると、モン族物を扱う店主がタイ人の場合、「これはメオね。」と説明してくれる。
モン族の人や他の少数民族の人、または勉強している店主の場合、「これはモンね。」と説明してくれる。
モン語で「モン」は「自由」を意味するそうだ。
自らを自由の民と名乗る民族なのだ。
モン族の分布はとても広い。
タイ・中国・ラオス・ベトナムの山岳地に多く住んでいる。
その伝統的な民族衣装に表れる手工芸によって、白モン族・青モン族・黒モン族と区別できる。
(花モン族というのもあるそうだが、白モン族の一派のようだ)
自由の民と称する民族なのだが、歴史的に見ると悲しい出来事が多い。
「モン族の悲劇」という本も出ているが、資料によれば、ベトナム戦争で亡くなったモン族は20数万人といわれ、ベトナム戦争で亡くなった米軍兵士の4倍弱だという。
ラオス北渓からホーチミンへと続く「ホーチミンルート」があったのだ。
最前線の特殊部隊として使われた歴史は、第1次インドシナ戦争から第3次インドシナ戦争まで続く。
アメリカ軍、フランス軍、北ベトナム軍、ベトミン軍などに利用された。
アメリカ軍は、サイゴン陥落した時、多くのモン族兵士を見捨てたそうだ。
見捨てられた兵士はメコン川を泳いで逃げたそうだ。
しかし、いかんせん、山岳民族であるモン族は泳げない。
たくさんのモン族兵士の遺体が、メコンの岸に上がったそうだ。
ラオスでは、今も反政府ゲリラとして闘っているモン族がいる。
爆弾をしかけたり、ツーリストバスを襲ったりする。
アメリカのミズーリー州にはモン族の村がある。
たくさんのモン族が住み、モン語を教えてるよって、飛行機で席が隣だった国連に勤める日系人のお姉さんが言ってた。
ラオスやベトナムのマーケットでは、モン族の少女たちが値段交渉の役目を果たしている。
彼女たちはスゴイ。
何がスゴイってビジネスに関わることなら何カ国語か喋れるのだ。
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・中国語・日本語・韓国語・タイ語・ベトナム語・ラオス語・・・・・。
8〜15歳くらいの少女たちだ。
ゲリラも、やり手の値段交渉をするのもモン族。
未だに伝統的な暮らしをしているモン族もいる。
生まれたところによって、同じモン族でも生き方は違うのだ。
これが21世紀の現実なんだろう。
私はモン族の手工芸が大好きだ。
ろうけつ染めの渋さもいい。
シルバーの大胆なデザインもいい。
芸術作品とも言える刺繍の模様と色使いは本当にすばらしい。
自由な精神と一緒にずっと伝えていってほしい。
私の宝物の一つに、青モン族の人形がある。
女の子たちが針仕事の練習として作ったものだ。
これを作った女の子が一つ一つ説明してくれた。
「これ、お父さん、パパね。これ、お母さん、ママね。これ、お姉さん。これ、お兄さん。これはベイビー、赤ちゃんね。そしてコレは、パパの愛人ね!コレはママの愛人ね!」
一体この子に日本語を教えたのは誰?
13. 停電〜ラオスの場合
またまたラオスの話。
メコン川の豊かな流れを利用して、ラオスは水力発電所を作った。
では、さぞかし人々の暮らしは便利になったことだろうと普通は思う。
ラオスはこの電力を隣国タイに売って外貨を獲得するのだ。
でも、自国にも十分供給した上でのことだろうと普通は思う。
しかし、違うのだ。
人々は電気がなくてもさほど不便を感じない生活をしている。
ルアンパバンと言えば、ビエンチャンに続く都市であり、都市全体が世界遺産に認定されている所だ。
たくさんのツーリストたちがラオスに来たら必ず訪れる所だ。
日本で言うと、そう、京都と同じような存在だ。
私はルアンパバンで5日スティしたが、丸2日は停電だった。
インターネットカフェも電気がこないから休業していた。
ミックスジュースを飲もうとしても、ジューサーが動かないから、コーラかコーヒーにしてくれと頼まれた。
電気がこないから、ちゃんとしたホテルに泊まってもボイラーが作動しないので水しか出なかった。
でも、こういうもんだ、と誰も文句を言わない。
そうだよ、ラオスはこういう所だもん。
電気がきてても、夜は懐中電灯がないと歩けない。
ラオス織りやらモン族の布やらが売られるナイトマーケットは、地べたに布を敷けばそこがお店になる。
店前の電灯はリールでつながっていて、停電になると、店先にろうそくを置いて商売をする。
布やら紙やらを売っているのに、ろうそくでいいんかい?と不安になるが、ここには火災法・防災法などないのだ。
停電は当たり前なのだ。
よくあることなのだ。
発電所で電気は作っても、それはタイへ輸出するものであって、人々の生活を潤すためのものではないようだ。
それでもいいのだ。
誰も文句は言わない。
ちなみに、停電ばかりのせいかルアンパバンの空港には管制塔がない。
チェッキングカウンターのコンピューターも当てにならないので、手書きのチケットが主流だ。
荷物チェックのX線も自家発電の電気がくるまで作動中止のこともある。
でも、誰も文句は言わない。
そんなことくらいで文句を言う必要はない。
電気がなきゃないように事は運ぶ。
そうだよね、電気がなくても人は生きていける。
メコン川の豊かな流れを利用して、ラオスは水力発電所を作った。
では、さぞかし人々の暮らしは便利になったことだろうと普通は思う。
ラオスはこの電力を隣国タイに売って外貨を獲得するのだ。
でも、自国にも十分供給した上でのことだろうと普通は思う。
しかし、違うのだ。
人々は電気がなくてもさほど不便を感じない生活をしている。
ルアンパバンと言えば、ビエンチャンに続く都市であり、都市全体が世界遺産に認定されている所だ。
たくさんのツーリストたちがラオスに来たら必ず訪れる所だ。
日本で言うと、そう、京都と同じような存在だ。
私はルアンパバンで5日スティしたが、丸2日は停電だった。
インターネットカフェも電気がこないから休業していた。
ミックスジュースを飲もうとしても、ジューサーが動かないから、コーラかコーヒーにしてくれと頼まれた。
電気がこないから、ちゃんとしたホテルに泊まってもボイラーが作動しないので水しか出なかった。
でも、こういうもんだ、と誰も文句を言わない。
そうだよ、ラオスはこういう所だもん。
電気がきてても、夜は懐中電灯がないと歩けない。
ラオス織りやらモン族の布やらが売られるナイトマーケットは、地べたに布を敷けばそこがお店になる。
店前の電灯はリールでつながっていて、停電になると、店先にろうそくを置いて商売をする。
布やら紙やらを売っているのに、ろうそくでいいんかい?と不安になるが、ここには火災法・防災法などないのだ。
停電は当たり前なのだ。
よくあることなのだ。
発電所で電気は作っても、それはタイへ輸出するものであって、人々の生活を潤すためのものではないようだ。
それでもいいのだ。
誰も文句は言わない。
ちなみに、停電ばかりのせいかルアンパバンの空港には管制塔がない。
チェッキングカウンターのコンピューターも当てにならないので、手書きのチケットが主流だ。
荷物チェックのX線も自家発電の電気がくるまで作動中止のこともある。
でも、誰も文句は言わない。
そんなことくらいで文句を言う必要はない。
電気がなきゃないように事は運ぶ。
そうだよね、電気がなくても人は生きていける。
12. メコンの夕陽
ラオスという国は、隣国のタイ・ベトナム・カンボジアに比べてマイナーなイメージがある。
その国の存在さえ知らない人もいる。
知ってても、「鳥インフルエンザ」発祥地という嘆かわしいニュースで耳にするくらいだ。
同じ社会主義でありながらベトナムの目まぐるしい近年の発展とは雲泥の差がある。
私自身、ラオスというと、なぜか紺色とエンジと金色の横縞模様が浮かんでくる。
きっとどこかで間違ったすり込み学習をしてしまったらしい。
実際、ラオスは何もない。
何もなくても訪れた者を満足させる情緒がある。
人々の暮らし、町並み、他の東南アジアの国々が捨ててしまったものが、この国ではまだ息づいている。
国の西側をメコン川が悠々と流れている。
メコン川・・・俗文化にしっかり毒されている私は、メコン川=地獄の黙示録=ベトナム戦争という式が、これもまたすり込み学習されてしまっていた。
そう、実際にメコンに触れるまでは。
メコンをさかのぼると、その源流はヒマラヤへと続く。
一つはインダス川になり、一つは長江になり、そして一つはインドシナ半島に流れてメコン川になるのだ。
ルアンパバンのプーシーの丘から見たメコン川は巨大な泥の川だ。
澄んだ水、清らかな流れが一番良いと思う日本人の美意識からすれば、本当にお世辞にも綺麗とは言えない泥水だ。
でも、川の脇に立つ椰子の木、そして、メコンの向こうに沈む夕陽は、神々しく神聖なものに見えてくるから不思議だ。
メコンクルーズをすると、より一層メコン川を堪能することができる。
できればスピードボートよりゆっくり時間をかけて走るボートの方がよい。
川面を渡る風、岸の砂地に群れる水牛、岩、裸ん坊で水浴する村の子供たち。
北に上れば、中国の絵にでてくるような形の山に出会える。
北接するのは雲南省。
ムアンシンはもう少数民族であふれている。
南に下れば、椰子の木群が対岸をつつみ、いかにも東南アジアに来たぞ〜と感じさせてくれる。
メコン川の東岸を夕方散歩すると、夕陽が沈んでいくのが見える。
この国の時間の流れは、メコンの夕陽が一番似合う。
ラオスは何もなくていい。
人々の笑顔とメコンの夕陽があれば、幸せな気持ちになる。
宝くじでもし3億円当たったら、ルアンパバンのメコン岸にゲストハウス兼骨董屋兼カフェを建てて、のんびり暮らしたいと思う。
自然に感謝して、今あるすべてのものに感謝して、メコンの夕陽に明日が来ることを約束して、一日を終わる。
私流スローライフ。
贅沢の極みだ。
その国の存在さえ知らない人もいる。
知ってても、「鳥インフルエンザ」発祥地という嘆かわしいニュースで耳にするくらいだ。
同じ社会主義でありながらベトナムの目まぐるしい近年の発展とは雲泥の差がある。
私自身、ラオスというと、なぜか紺色とエンジと金色の横縞模様が浮かんでくる。
きっとどこかで間違ったすり込み学習をしてしまったらしい。
実際、ラオスは何もない。
何もなくても訪れた者を満足させる情緒がある。
人々の暮らし、町並み、他の東南アジアの国々が捨ててしまったものが、この国ではまだ息づいている。
国の西側をメコン川が悠々と流れている。
メコン川・・・俗文化にしっかり毒されている私は、メコン川=地獄の黙示録=ベトナム戦争という式が、これもまたすり込み学習されてしまっていた。
そう、実際にメコンに触れるまでは。
メコンをさかのぼると、その源流はヒマラヤへと続く。
一つはインダス川になり、一つは長江になり、そして一つはインドシナ半島に流れてメコン川になるのだ。
ルアンパバンのプーシーの丘から見たメコン川は巨大な泥の川だ。
澄んだ水、清らかな流れが一番良いと思う日本人の美意識からすれば、本当にお世辞にも綺麗とは言えない泥水だ。
でも、川の脇に立つ椰子の木、そして、メコンの向こうに沈む夕陽は、神々しく神聖なものに見えてくるから不思議だ。
メコンクルーズをすると、より一層メコン川を堪能することができる。
できればスピードボートよりゆっくり時間をかけて走るボートの方がよい。
川面を渡る風、岸の砂地に群れる水牛、岩、裸ん坊で水浴する村の子供たち。
北に上れば、中国の絵にでてくるような形の山に出会える。
北接するのは雲南省。
ムアンシンはもう少数民族であふれている。
南に下れば、椰子の木群が対岸をつつみ、いかにも東南アジアに来たぞ〜と感じさせてくれる。
メコン川の東岸を夕方散歩すると、夕陽が沈んでいくのが見える。
この国の時間の流れは、メコンの夕陽が一番似合う。
ラオスは何もなくていい。
人々の笑顔とメコンの夕陽があれば、幸せな気持ちになる。
宝くじでもし3億円当たったら、ルアンパバンのメコン岸にゲストハウス兼骨董屋兼カフェを建てて、のんびり暮らしたいと思う。
自然に感謝して、今あるすべてのものに感謝して、メコンの夕陽に明日が来ることを約束して、一日を終わる。
私流スローライフ。
贅沢の極みだ。
11. 一杯で・・・
ラーメンやうどん、そばを食べる時、何から始めますか?
ほとんどの人は、まずスープをひとくち、そして胡椒や唐辛子でお好みの味付けにするだろう。
ずるずるっとすすりながら、 にんにくやネギをトッピングして味に変化をつけることもあるだろう。
だけど一杯のその丼の中は、最後まであまり変わりばえのないまま堪能することが多いと思う。
それでも、あ〜食った食った、うまかった〜と満足するだろう。
しかし、世の中には、一杯の麺で、3度味を楽しめる食べ物がある。
それは、ラオスのカオソーイ!
細切りラーメンって言うか、汁ビーフンって言うか、よくある東南アジアの麺類だ。
まず、そのままちょっと食べる。
そして、調味料で味付けをする。
タイ料理が好きな人はすぐにピンとくると思うけど、タイの屋台でもレストランでも、卓上調味料は常にセットしてある。
シュガー・酢・唐辛子・ナンプラー、四つで1セット。
タイでも麺類はこのセットで味に変化をつける。
ラオスのカオソーイも同じ。
しかししかし、このセットの変化球は1種類とは限らないのだ。
シュガーって砂糖でっせ。
この匙加減で他の量も変わると言っても過言ではないだろう。
ラーメンに砂糖入れます?
でも、カオソーイだと入れたくなっちゃうから不思議だ。
そして、酢も唐辛子もナンプラーも全部入れて調合したくなる、いや調合した方が絶対うまい。
ほいじゃ、タイ料理と一緒じゃんってことになるけど、ラオスのカオソーイはここからが違うのだ。
トッピングの野菜やすり身がおかわりし放題なのだ。
ここがミソだ。
一杯のカオソーイを堪能するために並んでいるもやしもネギもパクチーも入れ放題なのだ。
レストランでも屋台でも、ラオス流に変わりはないそうだ。
もちろん、トッピングしたからと言って、値段が変わるわけではない。
最初に4000キップ払ったカオソーイは、どれだけトッピングしても追加料金は払わなくてもよいのだ。
貧乏旅の私には、なんとうれしい食べ物だろう。
ラオス流カオソーイの正しい食べ方のおさらい。
1.オバチャンが手渡してくれたカオソーイのスープをひとくち飲む。
2.調味料セットで味付けして、3分の1くらい食べる。
3.トッピングの野菜を手でちぎって適量入れる。
4.そしてまた調味料で味を整える。(野菜が増えた分、1度目の味とは変化をつけたくなるのだ)
5.具と麺と均等に食べながら、3分の2あたりで再度トッピングをする。(もちろん2度目の味とは 違うものにしたくなる)
6.麺がなくなってもトッピングOKの具を入れて、スープがなくなるまで堪能する。(もちろんここでも味に変化をつけるべし)
いかがだろうか。
一杯のカオソーイで3度味を楽しめれば達人の域、とルアンパバンの屋台で隣のおっちゃんに伝授してもらったラオス流の食べ方だ。
余談ではあるが、最近チェンマイではカオソーイ屋さんがたくさん見られるようになった。
ラオスの料理は北タイやイサーン地方(東北タイ)の料理とめっちゃかぶるのでわかるような気がする。
でも、ラオス流が通用するかどうかはわからない。
チェンマイのカオソーイは、揚げ麺だったりカレーラーメンだったりする。
ラオスのカオソーイは、タイに当てはめるなら「クイッティオ」が妥当だろう。
汁の味を変えることは楽しめるけど、具材まで「はい、どうぞ」というのはない。
今ひとつ不完全燃焼だ。
一粒で2度おいしいのはグリコのアーモンドキャラメルのキャッチコピーだったが、一杯で何度でもおいしいのは、やはりラオスのカオソーイに勝るものはないだろう。
ほとんどの人は、まずスープをひとくち、そして胡椒や唐辛子でお好みの味付けにするだろう。
ずるずるっとすすりながら、 にんにくやネギをトッピングして味に変化をつけることもあるだろう。
だけど一杯のその丼の中は、最後まであまり変わりばえのないまま堪能することが多いと思う。
それでも、あ〜食った食った、うまかった〜と満足するだろう。
しかし、世の中には、一杯の麺で、3度味を楽しめる食べ物がある。
それは、ラオスのカオソーイ!
細切りラーメンって言うか、汁ビーフンって言うか、よくある東南アジアの麺類だ。
まず、そのままちょっと食べる。
そして、調味料で味付けをする。
タイ料理が好きな人はすぐにピンとくると思うけど、タイの屋台でもレストランでも、卓上調味料は常にセットしてある。
シュガー・酢・唐辛子・ナンプラー、四つで1セット。
タイでも麺類はこのセットで味に変化をつける。
ラオスのカオソーイも同じ。
しかししかし、このセットの変化球は1種類とは限らないのだ。
シュガーって砂糖でっせ。
この匙加減で他の量も変わると言っても過言ではないだろう。
ラーメンに砂糖入れます?
でも、カオソーイだと入れたくなっちゃうから不思議だ。
そして、酢も唐辛子もナンプラーも全部入れて調合したくなる、いや調合した方が絶対うまい。
ほいじゃ、タイ料理と一緒じゃんってことになるけど、ラオスのカオソーイはここからが違うのだ。
トッピングの野菜やすり身がおかわりし放題なのだ。
ここがミソだ。
一杯のカオソーイを堪能するために並んでいるもやしもネギもパクチーも入れ放題なのだ。
レストランでも屋台でも、ラオス流に変わりはないそうだ。
もちろん、トッピングしたからと言って、値段が変わるわけではない。
最初に4000キップ払ったカオソーイは、どれだけトッピングしても追加料金は払わなくてもよいのだ。
貧乏旅の私には、なんとうれしい食べ物だろう。
ラオス流カオソーイの正しい食べ方のおさらい。
1.オバチャンが手渡してくれたカオソーイのスープをひとくち飲む。
2.調味料セットで味付けして、3分の1くらい食べる。
3.トッピングの野菜を手でちぎって適量入れる。
4.そしてまた調味料で味を整える。(野菜が増えた分、1度目の味とは変化をつけたくなるのだ)
5.具と麺と均等に食べながら、3分の2あたりで再度トッピングをする。(もちろん2度目の味とは 違うものにしたくなる)
6.麺がなくなってもトッピングOKの具を入れて、スープがなくなるまで堪能する。(もちろんここでも味に変化をつけるべし)
いかがだろうか。
一杯のカオソーイで3度味を楽しめれば達人の域、とルアンパバンの屋台で隣のおっちゃんに伝授してもらったラオス流の食べ方だ。
余談ではあるが、最近チェンマイではカオソーイ屋さんがたくさん見られるようになった。
ラオスの料理は北タイやイサーン地方(東北タイ)の料理とめっちゃかぶるのでわかるような気がする。
でも、ラオス流が通用するかどうかはわからない。
チェンマイのカオソーイは、揚げ麺だったりカレーラーメンだったりする。
ラオスのカオソーイは、タイに当てはめるなら「クイッティオ」が妥当だろう。
汁の味を変えることは楽しめるけど、具材まで「はい、どうぞ」というのはない。
今ひとつ不完全燃焼だ。
一粒で2度おいしいのはグリコのアーモンドキャラメルのキャッチコピーだったが、一杯で何度でもおいしいのは、やはりラオスのカオソーイに勝るものはないだろう。
10. OH MY GOD!
「あなたの神様は誰ですか?」
お気楽平和天国日本でこんなこと聞いたら、 「ハ?何言ってんの?」と言われるだろう。
言われなくても思われるだろう。
「宗教の勧誘?」「アブナクない?」「クスリやってんの?」・・・次々と勘ぐられてしまうだろう。
「うちは浄土真宗ですから。」と答えてくれた人がいたとしても、その人が熱心にお参りしているかどうかはわからない。
お葬式や法事、墓参りつながりだけのことが多いだろう。
赤ちゃんが生まれたら、お宮参りに神社に行く人がほとんどだけど、みんなが神道なわけじゃない。
七五三もやるし、クリスマスもやるし、お正月に初詣も行くし、お墓参りにお寺にも行くし、結婚式は教会で挙げるのもOKだし、でも死んだら○○宗のお坊さんに供養してもらって葬式をする。
一般的な日本人の生活と宗教は、ほとんど年中行事のイベントに組み込まれて、良いとこ取りでなんでもミックスで、それが普通じゃんって感じだ。
私もそうだ。
だから私は無宗教で無神論者だ。
それでも、そんなに罰当たりなこともなく、人に嫌われることもなく、生きていくのに困ったこともない。
極楽日本から一歩外に出ると、 売春しながらもお寺参りを欠かさない人もいれば、それほどリッチな暮らしでもないのに神様仏様への捧げ物は惜しまなかったり、仕事がなくても定刻にはお寺に行ったりお祈りをしたり、私には理解できないことが多い。
私は、「どうしてお参り(お祈り)するの?」と、旅先で仲良くなった人たちに尋ねる。
「ブッディストだから。」「ヒンディーだから。」「イスラムだから。」「クリスチャンだから。」「ここに神が宿っているから。」 と、それぞれ答えてくれた後、必ず聞かれることが「あなたの神様は誰?」なのである。
この瞬間、私は自分の心の狭さを痛感する。
無宗教・無神論者の自分が、とっても薄っぺらく薄情極まりない存在に思えるのだ。
以前は、神様は誰でもないと答えていたけど、最近は、どれかと言えばブッディストと答えている。
信心があるわけじゃないけど、やっぱり馴染み深いのは仏教だし、教えの言われることも理屈ヌキに「なるほどね」と感じるからだ。
人が生きていく上で大切なことの教えが宗教なんじゃないかな?と私なりに解釈している。
しかし、世の中の争い事は、神様がらみでたいへんな状況になっている。
平和を願い祈ってこそ宗教だと思うのだが、なんとも矛盾したものだと思う。
こんな現状を目の当たりにすると、やっぱり神様仏様はどこにもいないのかもしれない。
OH MY GOD!!
お気楽平和天国日本でこんなこと聞いたら、 「ハ?何言ってんの?」と言われるだろう。
言われなくても思われるだろう。
「宗教の勧誘?」「アブナクない?」「クスリやってんの?」・・・次々と勘ぐられてしまうだろう。
「うちは浄土真宗ですから。」と答えてくれた人がいたとしても、その人が熱心にお参りしているかどうかはわからない。
お葬式や法事、墓参りつながりだけのことが多いだろう。
赤ちゃんが生まれたら、お宮参りに神社に行く人がほとんどだけど、みんなが神道なわけじゃない。
七五三もやるし、クリスマスもやるし、お正月に初詣も行くし、お墓参りにお寺にも行くし、結婚式は教会で挙げるのもOKだし、でも死んだら○○宗のお坊さんに供養してもらって葬式をする。
一般的な日本人の生活と宗教は、ほとんど年中行事のイベントに組み込まれて、良いとこ取りでなんでもミックスで、それが普通じゃんって感じだ。
私もそうだ。
だから私は無宗教で無神論者だ。
それでも、そんなに罰当たりなこともなく、人に嫌われることもなく、生きていくのに困ったこともない。
極楽日本から一歩外に出ると、 売春しながらもお寺参りを欠かさない人もいれば、それほどリッチな暮らしでもないのに神様仏様への捧げ物は惜しまなかったり、仕事がなくても定刻にはお寺に行ったりお祈りをしたり、私には理解できないことが多い。
私は、「どうしてお参り(お祈り)するの?」と、旅先で仲良くなった人たちに尋ねる。
「ブッディストだから。」「ヒンディーだから。」「イスラムだから。」「クリスチャンだから。」「ここに神が宿っているから。」 と、それぞれ答えてくれた後、必ず聞かれることが「あなたの神様は誰?」なのである。
この瞬間、私は自分の心の狭さを痛感する。
無宗教・無神論者の自分が、とっても薄っぺらく薄情極まりない存在に思えるのだ。
以前は、神様は誰でもないと答えていたけど、最近は、どれかと言えばブッディストと答えている。
信心があるわけじゃないけど、やっぱり馴染み深いのは仏教だし、教えの言われることも理屈ヌキに「なるほどね」と感じるからだ。
人が生きていく上で大切なことの教えが宗教なんじゃないかな?と私なりに解釈している。
しかし、世の中の争い事は、神様がらみでたいへんな状況になっている。
平和を願い祈ってこそ宗教だと思うのだが、なんとも矛盾したものだと思う。
こんな現状を目の当たりにすると、やっぱり神様仏様はどこにもいないのかもしれない。
OH MY GOD!!
9. 楽しさ倍増計画
アジアの国は、ほとんどが仏教だと思っている人って以外に多い。
例えば、バンコクの空港でこんな会話を耳にした。
「バリの仏教も面白いよね。ヘンな動物の仏像みたいなのない?」
「うんうん、いいよねぇ〜。なんだかアジアンって感じするもんね。」
「でも、バリって国?どこにある?」
「バリはバリじゃない?海の方だよ。熱帯だっけ?」
「そうだね。いいよねぇ〜バリ。癒されるよね。今度はバリに行こっか。」
・・・そうだね、確かにバリはいいよ。癒されるよ。まったくだよ。
バリはインドネシアだよ、バリ島の多くの人はバリヒンドゥーだけけど、インドネシアの90%くらいはイスラム教だよ。
何も知らずに旅をするより、少し勉強してから旅した方がいいよ、オネエサン方。
日本の常識は日本でしか通用しない。
なにも知らないで外国を旅するのは、常識外れな事をしでかしてしまう可能性が高い。
どんなにスカして小ぎれいにしてても、または旅の達人バックパッカーのようなイデタチでいても、馬鹿丸出しの烙印を押されてしまうから気をつけよう。
たかが旅行いくのに、勉強しなくちゃいけないわワケぇ?
そんな大そうな勉強はせんでもいいけど、生活習慣と宗教くらいは押さえておいた方が良い。
この2つは密接に関係しているのだから。
何でもお金で解決するような豪華な旅行でもない限り、相手のことを少しでも理解しようという気持ちがあると無いとじゃ、旅の楽しさは絶対違ってくる。
せっかく時間とお金を都合して旅に出るのだから頭使っても損はせんだろ。
例えば、バンコクの空港でこんな会話を耳にした。
「バリの仏教も面白いよね。ヘンな動物の仏像みたいなのない?」
「うんうん、いいよねぇ〜。なんだかアジアンって感じするもんね。」
「でも、バリって国?どこにある?」
「バリはバリじゃない?海の方だよ。熱帯だっけ?」
「そうだね。いいよねぇ〜バリ。癒されるよね。今度はバリに行こっか。」
・・・そうだね、確かにバリはいいよ。癒されるよ。まったくだよ。
バリはインドネシアだよ、バリ島の多くの人はバリヒンドゥーだけけど、インドネシアの90%くらいはイスラム教だよ。
何も知らずに旅をするより、少し勉強してから旅した方がいいよ、オネエサン方。
日本の常識は日本でしか通用しない。
なにも知らないで外国を旅するのは、常識外れな事をしでかしてしまう可能性が高い。
どんなにスカして小ぎれいにしてても、または旅の達人バックパッカーのようなイデタチでいても、馬鹿丸出しの烙印を押されてしまうから気をつけよう。
たかが旅行いくのに、勉強しなくちゃいけないわワケぇ?
そんな大そうな勉強はせんでもいいけど、生活習慣と宗教くらいは押さえておいた方が良い。
この2つは密接に関係しているのだから。
何でもお金で解決するような豪華な旅行でもない限り、相手のことを少しでも理解しようという気持ちがあると無いとじゃ、旅の楽しさは絶対違ってくる。
せっかく時間とお金を都合して旅に出るのだから頭使っても損はせんだろ。
8. ラマダン
ラマダンはイスラムの断食月。
911のテロ以来、耳慣れてしまった言葉でもある。
イスラムの暦で第9番目の月に当たるそうだ。
断食なんかして大丈夫?
いえいえ、 日の出から日の入りまでは飲食禁止だが、夜はOKなので、まったくの断食苦行ではない。
でも、キビシイと思うよ。
お腹すかない?とラマダン中の人に聞いたことあるけど、慣れているからなんともないそうだ。
日中飲食を断つので、日が暮れてからの食事が楽しみだという。
家族が集まってお喋りしながら一緒の時を過ごせるのだから幸せを感じるともいう。
そうだね、戒律には本来意味があるもんね。
へぇ〜〜〜と納得しながら、ふと思った。
私の普段の生活は、ラマダンに近い。
日中口にする物はコーヒーくらいだが、夜は食べる。
昼間の食事を取り戻すかのごとく、栄養を蓄えねばという本能のごとく、食べる。
なんと不健康で意味のないラマダンだろう。 反省\(__ )
911のテロ以来、耳慣れてしまった言葉でもある。
イスラムの暦で第9番目の月に当たるそうだ。
断食なんかして大丈夫?
いえいえ、 日の出から日の入りまでは飲食禁止だが、夜はOKなので、まったくの断食苦行ではない。
でも、キビシイと思うよ。
お腹すかない?とラマダン中の人に聞いたことあるけど、慣れているからなんともないそうだ。
日中飲食を断つので、日が暮れてからの食事が楽しみだという。
家族が集まってお喋りしながら一緒の時を過ごせるのだから幸せを感じるともいう。
そうだね、戒律には本来意味があるもんね。
へぇ〜〜〜と納得しながら、ふと思った。
私の普段の生活は、ラマダンに近い。
日中口にする物はコーヒーくらいだが、夜は食べる。
昼間の食事を取り戻すかのごとく、栄養を蓄えねばという本能のごとく、食べる。
なんと不健康で意味のないラマダンだろう。 反省\(__ )
7. ナショナリティ
私はどこから見てもアジアの民に見える。
でも、どこの国かと決定打が出ないらしい。
日本?中国?韓国?
そうね、漢民族には違いないから、どこの国でも同じような容姿なのだろう。
個人的に思うことなので気を悪くしないでもらいたいのだが、この三国の中では、日本人が一番スタイルが悪いと思う。
それは置いといて、当たらずも遠からずなので、三国のうちのどれかだと思うと答えた人には、みんな正解にしてあげる。
しかし、一番よく言われるのは、チベット人。
そっか、そう見えるのか。。。。
確かにチベットの人たちは日本人によく似ているもんね。
これも「近い!」ということで、ちょっと当たりにしてあげる。
一番スゴイ間違いをされたのは、そう、あれはタイのチェンコンに近いモン族の村でのことだった。
観光化されていない村なので、タイの友人に案内してもらってモン族シルバーが出来上がるまでを見学させてもらっていた。
チェンコンというのは、メコン川沿いの北タイの町で、その対岸はラオス。
本当に目と鼻の先なのだ。
ラオスからこのメコンを渡って密入国する人たちも多いそうだ。
このモンの村は、本当に村というのにふさわしい所だ。
道路はぜんぜん舗装されてなくて、鶏も優雅に放し飼いで、木陰では、まだ年若い母親が青モン族の民族衣装の胸元をはだいて、幼い我が子に乳を飲ませていた。
彼らからすれば、初めて見る外国人に違いない私たち夫婦の前で、恥じらいもなく乳をさらけ出し地べたに座り込んでいた。
さすがモン族、絶対最近風呂に入ってないどころか水浴びもしてないだろうという汚れ加減だった。
彼女だけじゃなく村人全体がそんな感じだった。
でも、ここにも人の暮らしがあるんだなぁ〜なんて、ちょっと感動していた矢先、どこからともなくタイの軍隊のトラックが埃を舞いあげてやって来た。
荷台には10人くらいの兵隊さんが乗っていた。
アーミーで小銃掲げてるから兵隊さんだってことはすぐに認識できた。
「ここら辺りはボーダーライン(国境)だから、密入国の見回りだと思うよ。」と私たちに友人が耳打ちした。
「へぇ〜そう〜、お勤めご苦労さんだね。」と悠長に構えていた私たちに、荷台の小銃が一斉に向けられた。
リーダーが立って「どこから来た?ラオスだろ?密入国だろ?」と私たちに叫んだ。
「え〜〜!なんですとぉ〜〜???」
言い返してやりたい気持ちは山々だけど、こんなところで蜂の巣にされてのたれ死ぬわけにはいかないので、私は両手を挙げて「イープン!イープン!チャンペンコンイープンカッ!」と大声で答えた。
タイ語は不得意な旦那さんも状況はよく把握できたようで、彼も両手を挙げて「ジャパニーズ!ジャパニーズ!アイアムジャパニーズ!ウィアージャパニーズ!」と必死に英語で答えていた。
友人は血相を変えて、「彼らは私の日本の友達で密入国者じゃない。ここには仕事でやって来た。ちゃんとパスポートも持っているから確認してください。」とリーダーに言ってくれた。
じゃあパスポートを見せろということになって、初めて手を下ろすことができ、急いでリュックの中からパスポートを取り出した。
シゲシゲとマジマジと確認してトラック部隊は去って行った。
驚いたのと怖かったのとで、その時はとりあえず疑いが晴れてほっとして宿に戻った。
しかし、落ち着いてくると釈然としない。
あたくしのどこがラオス人に見えて?
ましてや密入国だなんてどうよ?
旦那さんも同じように思っていたらく、お互いを見た。
もしかしたら見えちゃったかも。。。
情けないが、その時の私たちは珍しく長旅で、ヨレヨレの格好に日焼けバンバン、旦那さんはヒゲが伸び放題、お互いに怪しさ倍増だった。
でも、さすがにラオスの密入国者に間違えられたのは後にも先にもこの時だけだ。
ちなみに私の旦那さんは、中国人かフィリピン人に見えるらしく日本人だと言うと驚かれることが多い。
ナショナリティがジャパニーズというのは、海外に行くと、とても恵まれた状況なのだと再認識する。
世界一、安全で清潔な国だと思う。
国内のどんな僻地に行っても普通の暮らしが保たれているのだから、日本は。
でも、どこの国かと決定打が出ないらしい。
日本?中国?韓国?
そうね、漢民族には違いないから、どこの国でも同じような容姿なのだろう。
個人的に思うことなので気を悪くしないでもらいたいのだが、この三国の中では、日本人が一番スタイルが悪いと思う。
それは置いといて、当たらずも遠からずなので、三国のうちのどれかだと思うと答えた人には、みんな正解にしてあげる。
しかし、一番よく言われるのは、チベット人。
そっか、そう見えるのか。。。。
確かにチベットの人たちは日本人によく似ているもんね。
これも「近い!」ということで、ちょっと当たりにしてあげる。
一番スゴイ間違いをされたのは、そう、あれはタイのチェンコンに近いモン族の村でのことだった。
観光化されていない村なので、タイの友人に案内してもらってモン族シルバーが出来上がるまでを見学させてもらっていた。
チェンコンというのは、メコン川沿いの北タイの町で、その対岸はラオス。
本当に目と鼻の先なのだ。
ラオスからこのメコンを渡って密入国する人たちも多いそうだ。
このモンの村は、本当に村というのにふさわしい所だ。
道路はぜんぜん舗装されてなくて、鶏も優雅に放し飼いで、木陰では、まだ年若い母親が青モン族の民族衣装の胸元をはだいて、幼い我が子に乳を飲ませていた。
彼らからすれば、初めて見る外国人に違いない私たち夫婦の前で、恥じらいもなく乳をさらけ出し地べたに座り込んでいた。
さすがモン族、絶対最近風呂に入ってないどころか水浴びもしてないだろうという汚れ加減だった。
彼女だけじゃなく村人全体がそんな感じだった。
でも、ここにも人の暮らしがあるんだなぁ〜なんて、ちょっと感動していた矢先、どこからともなくタイの軍隊のトラックが埃を舞いあげてやって来た。
荷台には10人くらいの兵隊さんが乗っていた。
アーミーで小銃掲げてるから兵隊さんだってことはすぐに認識できた。
「ここら辺りはボーダーライン(国境)だから、密入国の見回りだと思うよ。」と私たちに友人が耳打ちした。
「へぇ〜そう〜、お勤めご苦労さんだね。」と悠長に構えていた私たちに、荷台の小銃が一斉に向けられた。
リーダーが立って「どこから来た?ラオスだろ?密入国だろ?」と私たちに叫んだ。
「え〜〜!なんですとぉ〜〜???」
言い返してやりたい気持ちは山々だけど、こんなところで蜂の巣にされてのたれ死ぬわけにはいかないので、私は両手を挙げて「イープン!イープン!チャンペンコンイープンカッ!」と大声で答えた。
タイ語は不得意な旦那さんも状況はよく把握できたようで、彼も両手を挙げて「ジャパニーズ!ジャパニーズ!アイアムジャパニーズ!ウィアージャパニーズ!」と必死に英語で答えていた。
友人は血相を変えて、「彼らは私の日本の友達で密入国者じゃない。ここには仕事でやって来た。ちゃんとパスポートも持っているから確認してください。」とリーダーに言ってくれた。
じゃあパスポートを見せろということになって、初めて手を下ろすことができ、急いでリュックの中からパスポートを取り出した。
シゲシゲとマジマジと確認してトラック部隊は去って行った。
驚いたのと怖かったのとで、その時はとりあえず疑いが晴れてほっとして宿に戻った。
しかし、落ち着いてくると釈然としない。
あたくしのどこがラオス人に見えて?
ましてや密入国だなんてどうよ?
旦那さんも同じように思っていたらく、お互いを見た。
もしかしたら見えちゃったかも。。。
情けないが、その時の私たちは珍しく長旅で、ヨレヨレの格好に日焼けバンバン、旦那さんはヒゲが伸び放題、お互いに怪しさ倍増だった。
でも、さすがにラオスの密入国者に間違えられたのは後にも先にもこの時だけだ。
ちなみに私の旦那さんは、中国人かフィリピン人に見えるらしく日本人だと言うと驚かれることが多い。
ナショナリティがジャパニーズというのは、海外に行くと、とても恵まれた状況なのだと再認識する。
世界一、安全で清潔な国だと思う。
国内のどんな僻地に行っても普通の暮らしが保たれているのだから、日本は。
6. 訛り英語
英語は世界共通語ではあるが、母国語としている国と後付けで勉強する国では、やはり大きな違いがある。
当たり前のことだが、ネイティブスピーカーは、発音が良い・文法がしっかりしている・語彙量が多い・話す速度が速いと、私たちが日本語を話すように普通にスラスラ〜っと話す。
ネイティブじゃない人は、その学習の仕方と量によって大きな差が生まれる。
やはりこれも当たり前のこと。
日本では、ほとんどが中学から英語を学ぶが、これも良いことなのか悪いことなのかはっきりしない。
語学は音楽と同じように、年齢が小さいうちから慣れる方が良いことは確かだ。
耳から自然と入ってくるように覚える、そうまるで母国語のように。
そのためには、周りにいる大人たちもある程度英語を話せないとよくないだろう。
週に1回程度の英会話教室で、将来困らない程度に英語が身に付くのは、ほんの一握りに思う。
だから、中学生くらいで母国語がそこそこ理解できた後に英語を学習するのは、割と効果的なのだろう。
しかし、読めるけど、書けるけど、テストで点が取れるけど、会話はできないという現実が生まれることになる。
昭和39年生まれの私は、まさにその世代。
今の中学生の教科書は、マンガ?と思うほど挿絵が多く、会話中心に進んでいくようになっているようだが、どれがキーセンテンスで新出単語でどの文法を主点にしているのか私は理解できない。
でも、今の子供たちがみんな会話ができるかと言えばそうでもない。
だいたい、国際的な観光地や外国人がよく集まるスポットでもない限り、英語を話す機会なんて日本では無いに等しいのだから。
そこへ行くと、諸外国の子供たちは、日本の子供より圧倒的に英語に馴染んでいる。
ソウルオリンピック以後、韓国の英語教育は発展した。
韓国の若い子たちは、日本の同世代の子たちより数段英会話が出来る。
4年後の北京オリンピックを目指して、中国もすごい勢いで英語教育を進めている。
私が行くアジアの国では、若い子たちは率先して英語を学び、子供たちはなんの照れもなく外国人に「ハロー」と話しかける。
仕事のため、生きていくためとはいえ、英会話スクールに通わなくてもみんな独学で英語をモノにしようという姿勢には、大変頭の下がる思いだ。
「どこで英語を覚えたの?」と聞くと、ほとんどは「ストリート」と答える。
ストリートイングリッシュでも、会話ができる。
恥ずかしがらずに、話して、聞いて、また話すを繰り返して覚えたものだ。
文法や発音なんか気にせずに、聞き覚えたことを毎日話して彼らのストリートイングリッシュは磨かれていく。
私は自分の英語をジャパニーズイングリッシュwith三河弁と思っているので、彼らと話しているととても気持ちが楽になる。
面白いことに、このストリートイングリッシュは、やはりそこの母国語と関連して訛りが生じる。
タイでは、タイ訛りの英語。
文法的には、何かを尋ねるとき、「Are you〜?」「Do you〜?」と疑問文から始めることは少ない。
例えば、あなたは日本人ですか?「Are you Japanese?」が本当なのだが、タイでは「You are Japanese?(語尾上がり調子)」となることが多い。
これはタイ語の疑問文が、ほとんどこの形をとるからだ。
何か聞きたいときは、普通に言って語尾に「マイ?(語尾上がり調子)」で会話するからだ。
おかしい?
ううん、ぜんぜんおかしくなんかない。
これで会話は十分通じるのだから、うまく文が作れないからモジモジしているより、わかる範囲で話す方が楽しい。
あと、日本語でも、語尾に「〜〜ね、〜〜さ、」とつくように、タイ語は「〜〜ナ」とつくことが多い。
だからタイ人は「サンキュー、ナ!」「シーユーアゲイン、ナ!」となるわけだ。
しっかり語学学校に通っている人は綺麗な英語を話せるから、あくまでこれは、普通のタイ人のストリートイングリッシュなわけだ。
ネイティブの人に、日本人は「R」と「L」がやっぱり下手なんだって言われた。
だから、このへんでジャパニーズイングリッシュ、つまり日本訛り英語だとわかるらしい。
訛っててもいいから日本人は恥ずかしがらずにもっと喋れば上手くなるとも言われた。
本当にそうだね、そう思うよ、私も。
「R」で思い出したけど、ネパール訛りの英語は「R」がキツイ。
これも、ネパール語がもともとそうなんだから仕方ないんだけどね。
空港は「エアポルト」、運転手のドライバーは「ドライバル」、パスポートは「パスポルト」、コンピューターは「コンピュータル」、駐車場のパーキングは「パルキング」とネパール語で言うんだもん。
日本語でいうところの、カタカナ表記の外来語は語尾の「〜er」がすべて「ル」としっかり言っちゃうってわけだ。
だから、普通に英語で会話していても、「〜er」のところは「ル」で通す。
rememberはリメンバル、Octoberはオクトーバル、numberはナンバル・・・
タイ人より文法はしっかりしているし、インドに近いせいか、アメリカ英語よりはイギリス英語よりの丁寧な言い回しをすることが多いのに、「R」がキツイんだやね。
ネパール人の友達に、「そこんとこ笑えるんだけど・・・」と言ったら、みんなニヤリと笑って、「ネパリだからしょうがない。でもオレ達は英語でビジネスしてるのさ。」と答えて、「ネパリイングリッシュに乾杯!」とビールの本数が増えていった。
お国訛りのストリートイングリッシュを話すアジア人は、恐ろしいことに、ストリートジャパニーズもストリートコリアもストリートフレンチもこなせちゃったりするんだよ。
人なつっこさとうさんくささが、また私をアジアの虜にするのである。
当たり前のことだが、ネイティブスピーカーは、発音が良い・文法がしっかりしている・語彙量が多い・話す速度が速いと、私たちが日本語を話すように普通にスラスラ〜っと話す。
ネイティブじゃない人は、その学習の仕方と量によって大きな差が生まれる。
やはりこれも当たり前のこと。
日本では、ほとんどが中学から英語を学ぶが、これも良いことなのか悪いことなのかはっきりしない。
語学は音楽と同じように、年齢が小さいうちから慣れる方が良いことは確かだ。
耳から自然と入ってくるように覚える、そうまるで母国語のように。
そのためには、周りにいる大人たちもある程度英語を話せないとよくないだろう。
週に1回程度の英会話教室で、将来困らない程度に英語が身に付くのは、ほんの一握りに思う。
だから、中学生くらいで母国語がそこそこ理解できた後に英語を学習するのは、割と効果的なのだろう。
しかし、読めるけど、書けるけど、テストで点が取れるけど、会話はできないという現実が生まれることになる。
昭和39年生まれの私は、まさにその世代。
今の中学生の教科書は、マンガ?と思うほど挿絵が多く、会話中心に進んでいくようになっているようだが、どれがキーセンテンスで新出単語でどの文法を主点にしているのか私は理解できない。
でも、今の子供たちがみんな会話ができるかと言えばそうでもない。
だいたい、国際的な観光地や外国人がよく集まるスポットでもない限り、英語を話す機会なんて日本では無いに等しいのだから。
そこへ行くと、諸外国の子供たちは、日本の子供より圧倒的に英語に馴染んでいる。
ソウルオリンピック以後、韓国の英語教育は発展した。
韓国の若い子たちは、日本の同世代の子たちより数段英会話が出来る。
4年後の北京オリンピックを目指して、中国もすごい勢いで英語教育を進めている。
私が行くアジアの国では、若い子たちは率先して英語を学び、子供たちはなんの照れもなく外国人に「ハロー」と話しかける。
仕事のため、生きていくためとはいえ、英会話スクールに通わなくてもみんな独学で英語をモノにしようという姿勢には、大変頭の下がる思いだ。
「どこで英語を覚えたの?」と聞くと、ほとんどは「ストリート」と答える。
ストリートイングリッシュでも、会話ができる。
恥ずかしがらずに、話して、聞いて、また話すを繰り返して覚えたものだ。
文法や発音なんか気にせずに、聞き覚えたことを毎日話して彼らのストリートイングリッシュは磨かれていく。
私は自分の英語をジャパニーズイングリッシュwith三河弁と思っているので、彼らと話しているととても気持ちが楽になる。
面白いことに、このストリートイングリッシュは、やはりそこの母国語と関連して訛りが生じる。
タイでは、タイ訛りの英語。
文法的には、何かを尋ねるとき、「Are you〜?」「Do you〜?」と疑問文から始めることは少ない。
例えば、あなたは日本人ですか?「Are you Japanese?」が本当なのだが、タイでは「You are Japanese?(語尾上がり調子)」となることが多い。
これはタイ語の疑問文が、ほとんどこの形をとるからだ。
何か聞きたいときは、普通に言って語尾に「マイ?(語尾上がり調子)」で会話するからだ。
おかしい?
ううん、ぜんぜんおかしくなんかない。
これで会話は十分通じるのだから、うまく文が作れないからモジモジしているより、わかる範囲で話す方が楽しい。
あと、日本語でも、語尾に「〜〜ね、〜〜さ、」とつくように、タイ語は「〜〜ナ」とつくことが多い。
だからタイ人は「サンキュー、ナ!」「シーユーアゲイン、ナ!」となるわけだ。
しっかり語学学校に通っている人は綺麗な英語を話せるから、あくまでこれは、普通のタイ人のストリートイングリッシュなわけだ。
ネイティブの人に、日本人は「R」と「L」がやっぱり下手なんだって言われた。
だから、このへんでジャパニーズイングリッシュ、つまり日本訛り英語だとわかるらしい。
訛っててもいいから日本人は恥ずかしがらずにもっと喋れば上手くなるとも言われた。
本当にそうだね、そう思うよ、私も。
「R」で思い出したけど、ネパール訛りの英語は「R」がキツイ。
これも、ネパール語がもともとそうなんだから仕方ないんだけどね。
空港は「エアポルト」、運転手のドライバーは「ドライバル」、パスポートは「パスポルト」、コンピューターは「コンピュータル」、駐車場のパーキングは「パルキング」とネパール語で言うんだもん。
日本語でいうところの、カタカナ表記の外来語は語尾の「〜er」がすべて「ル」としっかり言っちゃうってわけだ。
だから、普通に英語で会話していても、「〜er」のところは「ル」で通す。
rememberはリメンバル、Octoberはオクトーバル、numberはナンバル・・・
タイ人より文法はしっかりしているし、インドに近いせいか、アメリカ英語よりはイギリス英語よりの丁寧な言い回しをすることが多いのに、「R」がキツイんだやね。
ネパール人の友達に、「そこんとこ笑えるんだけど・・・」と言ったら、みんなニヤリと笑って、「ネパリだからしょうがない。でもオレ達は英語でビジネスしてるのさ。」と答えて、「ネパリイングリッシュに乾杯!」とビールの本数が増えていった。
お国訛りのストリートイングリッシュを話すアジア人は、恐ろしいことに、ストリートジャパニーズもストリートコリアもストリートフレンチもこなせちゃったりするんだよ。
人なつっこさとうさんくささが、また私をアジアの虜にするのである。
5. 大王様
旦那さんと台湾に行った時のこと。
さて、メシでも食うかと街を彷徨って驚いたのが食べ物やさんの看板だ。
「○○大王」と掲げるのである。
○○のところは、その食べ物が入る。
排骨大王、粥大王、拉麺大王ってな具合に、看板に「オイラんとこが、その筋じゃ一番だぜ!大王だぜ!」と大いばりで掲げるのである。
おもろい、おもろすぎるで・・・台湾。
ちなみに、足ツボマッサージ系の看板になると、「○○健康中心」が多かった。
ホテルは、「○○大飯店」となるらしい。
漢字だけの看板は、四文字熟語をイメージして意味を推測することができるが、全く違う場合もあるのでおもしろい。
私は、遠東デパートのパイナップルケーキ売りの姉さんに、「明日朝十時、八個引取、可?不可?」と紙に書いて注文した時、明日がわからないと言われて困ったものだ。
明日って、あしただがね。漢字だがね。なしてわからんのさ?
売り子の姉ちゃんが別の階から英語が話せる姉ちゃんを連れてきてくれたので、なんとか通じたのだが、「?」という疑問だけがお互いに残ってしまっては国際親善的によくはなかろうと勝手に思い、日本語・英語・中国語でお互いに「?」な点を言い合った。
その結果、私の無知が招いた結果だということがわかった。
中国表記で「明日」は「明天」と書くのだそうだ。
勉強不足でごめんね、売り子のお姉ちゃん。(__)
他にも私は、無知をさらけ出しては学習することばかりだった。
たとえば、台湾に「台湾ラーメン」といメニューがないこと。
それに近いものが「坦々麺」と勝手に思いこみ、街の食堂で担々麺を注文したら、麺がメッチャ柔らかくて細め、汁がメッチャ少なめのコッテコテのお椀が出てきた。
それを見た時、「あ〜また間違えちまった・・・」と思ったが、後悔後に立たず、とりあえずはそれを食べねばならん。
私は食べ物を残すということが出来ない性分なので、うまかろうがマズかろうが、出されたものはすべて平らげる。
しかしなぁ、柔らかいラーメンは苦手だし、汁がなくて団子のようになっちゃってるし。。。
困った私は,オバチャンに 「汁的追加投入」と書いて見せようかとすごく迷ったけど、この上さらに間違えを犯すのは、胃袋が許さない気がしたのでやめた。
早食い・大食いの私が、このときほど、一杯の担々麺と格闘したことはない。
後日、テレビを見ていたら、台湾ラーメンは名古屋が発祥という地方番組をやっていた。
やっぱね、ないはずだぜ。
本場台湾に台湾ラーメンはない。
もう少し言えば、日本では普通のラーメンもない。
数年前のことなので、今は事情が違うかもしれないが、当時でも日本のラーメンは日式拉麺と区別されて、少し高かったように記憶する。
地下鉄の駅の食堂だったけど、誰をターゲットの日式拉麺なのかわからなかった。
日本はラーメン屋さんだらけで、競争が激しい業界だと思うけど、勇気と少しの資本があるなら海外でラーメン屋さんをやれば絶対儲かると思う。
夜市では、日式焼きそば、日式お好み焼きと書かれた看板も目にする。
観光客が日本の味を恋しく思うところを狙ったんだろうね。
目の付け所がシャープだね。(古い〜)
そのうち「日式大王」の看板で日本食レストランをやってる台湾人に出会うかもしれん。
さて、メシでも食うかと街を彷徨って驚いたのが食べ物やさんの看板だ。
「○○大王」と掲げるのである。
○○のところは、その食べ物が入る。
排骨大王、粥大王、拉麺大王ってな具合に、看板に「オイラんとこが、その筋じゃ一番だぜ!大王だぜ!」と大いばりで掲げるのである。
おもろい、おもろすぎるで・・・台湾。
ちなみに、足ツボマッサージ系の看板になると、「○○健康中心」が多かった。
ホテルは、「○○大飯店」となるらしい。
漢字だけの看板は、四文字熟語をイメージして意味を推測することができるが、全く違う場合もあるのでおもしろい。
私は、遠東デパートのパイナップルケーキ売りの姉さんに、「明日朝十時、八個引取、可?不可?」と紙に書いて注文した時、明日がわからないと言われて困ったものだ。
明日って、あしただがね。漢字だがね。なしてわからんのさ?
売り子の姉ちゃんが別の階から英語が話せる姉ちゃんを連れてきてくれたので、なんとか通じたのだが、「?」という疑問だけがお互いに残ってしまっては国際親善的によくはなかろうと勝手に思い、日本語・英語・中国語でお互いに「?」な点を言い合った。
その結果、私の無知が招いた結果だということがわかった。
中国表記で「明日」は「明天」と書くのだそうだ。
勉強不足でごめんね、売り子のお姉ちゃん。(__)
他にも私は、無知をさらけ出しては学習することばかりだった。
たとえば、台湾に「台湾ラーメン」といメニューがないこと。
それに近いものが「坦々麺」と勝手に思いこみ、街の食堂で担々麺を注文したら、麺がメッチャ柔らかくて細め、汁がメッチャ少なめのコッテコテのお椀が出てきた。
それを見た時、「あ〜また間違えちまった・・・」と思ったが、後悔後に立たず、とりあえずはそれを食べねばならん。
私は食べ物を残すということが出来ない性分なので、うまかろうがマズかろうが、出されたものはすべて平らげる。
しかしなぁ、柔らかいラーメンは苦手だし、汁がなくて団子のようになっちゃってるし。。。
困った私は,オバチャンに 「汁的追加投入」と書いて見せようかとすごく迷ったけど、この上さらに間違えを犯すのは、胃袋が許さない気がしたのでやめた。
早食い・大食いの私が、このときほど、一杯の担々麺と格闘したことはない。
後日、テレビを見ていたら、台湾ラーメンは名古屋が発祥という地方番組をやっていた。
やっぱね、ないはずだぜ。
本場台湾に台湾ラーメンはない。
もう少し言えば、日本では普通のラーメンもない。
数年前のことなので、今は事情が違うかもしれないが、当時でも日本のラーメンは日式拉麺と区別されて、少し高かったように記憶する。
地下鉄の駅の食堂だったけど、誰をターゲットの日式拉麺なのかわからなかった。
日本はラーメン屋さんだらけで、競争が激しい業界だと思うけど、勇気と少しの資本があるなら海外でラーメン屋さんをやれば絶対儲かると思う。
夜市では、日式焼きそば、日式お好み焼きと書かれた看板も目にする。
観光客が日本の味を恋しく思うところを狙ったんだろうね。
目の付け所がシャープだね。(古い〜)
そのうち「日式大王」の看板で日本食レストランをやってる台湾人に出会うかもしれん。
4. エイズ
治療薬が開発されつつあるエイズ。
でも、死に至る確率の非常に高い病気であり、感染すると今のところ治るみこみはない。
性交渉や輸血によっての感染が多いが、母子感染で幼い命が消えていくことも多い。
ユニセフもエイズ予防に力を入れている。
NGOでも予防を呼びかける活動をしている。
エイズ予防と産児制限の呼びかけで、ある村を訪ねて村人を集め、コンドームの使い方の説明をする活動はよく耳にする。
アジアだったかアフリカだったか、例のように村人の前で病気や衛生的な育児のレクチャーをしたそうだ。
移動診療所の看護師さんたちが、指にコンドームをはめて、「こうして使ってしっかり予防してちょうだいね。」としっかり説明した後、村人に無料配布したそうだ。
しかし、その村で祝福されない妊娠は減少することはなく、エイズの知識も薄れていく。
何度もレクチャーしなければわからないのだろうとまた村を訪ねた時に、「ちゃんとコンドームは使ってる?」と村人に聞くと、「ちゃんと指にさして使ってるよ!」という答えが返ってきたそうだ。
笑い話のような本当の話。
どこの国に行ってもエロエロ産業は絶対ある。
旅の恥はかき捨てとばかりに羽目を外す日本人も非常に多い。
空港やホテルで、または通りを歩きながら、日本人男性グループの方々が、とっても自慢気にご乱交の数々を大声で話しているのはよく見かける光景だ。
周りは外国人が多いので、日本語で話していればどんな内容なのかわからないと思っているのだろうか。
若い人より中高年に多い。
たまに「えっ、こんなじいさんが!見栄張ってんじゃないの?」と思うこともある。
私はいちおう女なので、この手の話はよくわからないが、はっきり言って気分悪い。
ってゆーか、情けない。
売り手がいるから買い手が出るのか、買い手がいるから売り手が出るのか。。。。
一つだけ確かなことは、アジアやアフリカの国々では、女性が好んで売春するのではない。
家族が生きていくために仕方なく身売りする現実がそこにはあるのだ。
着飾って贅沢したいための援交とは違うのだ。
日本だって、少し前の時代にはあった話だ。
しかし、最近驚くのが、このエロエロ産業もかなりエグいマニア好みが進んでいる。
女性の低年齢化もロリコン趣味を通り越すほど子供が商品になっていたり、男性同士もありありで「男性客限定。当店は美少年揃いです!」などと日本語で書かれたチラシも増えてきた。
少年というにはあまりに幼すぎる男の子も商品になるという。
男性ばかりではない。
日本人女性が現地の男性を買うのも珍しい話ではない。
悲しいけれど、彼らも別の意味でアジア好きなのだ。
彼らが落としていったお金で食べていくことができるならそれでいいじゃん・・・そう割り切るにはあまりに切なすぎる。
切ない現実とエイズという惨い現実が、アジアの街角を今日も浸食している。
でも、死に至る確率の非常に高い病気であり、感染すると今のところ治るみこみはない。
性交渉や輸血によっての感染が多いが、母子感染で幼い命が消えていくことも多い。
ユニセフもエイズ予防に力を入れている。
NGOでも予防を呼びかける活動をしている。
エイズ予防と産児制限の呼びかけで、ある村を訪ねて村人を集め、コンドームの使い方の説明をする活動はよく耳にする。
アジアだったかアフリカだったか、例のように村人の前で病気や衛生的な育児のレクチャーをしたそうだ。
移動診療所の看護師さんたちが、指にコンドームをはめて、「こうして使ってしっかり予防してちょうだいね。」としっかり説明した後、村人に無料配布したそうだ。
しかし、その村で祝福されない妊娠は減少することはなく、エイズの知識も薄れていく。
何度もレクチャーしなければわからないのだろうとまた村を訪ねた時に、「ちゃんとコンドームは使ってる?」と村人に聞くと、「ちゃんと指にさして使ってるよ!」という答えが返ってきたそうだ。
笑い話のような本当の話。
どこの国に行ってもエロエロ産業は絶対ある。
旅の恥はかき捨てとばかりに羽目を外す日本人も非常に多い。
空港やホテルで、または通りを歩きながら、日本人男性グループの方々が、とっても自慢気にご乱交の数々を大声で話しているのはよく見かける光景だ。
周りは外国人が多いので、日本語で話していればどんな内容なのかわからないと思っているのだろうか。
若い人より中高年に多い。
たまに「えっ、こんなじいさんが!見栄張ってんじゃないの?」と思うこともある。
私はいちおう女なので、この手の話はよくわからないが、はっきり言って気分悪い。
ってゆーか、情けない。
売り手がいるから買い手が出るのか、買い手がいるから売り手が出るのか。。。。
一つだけ確かなことは、アジアやアフリカの国々では、女性が好んで売春するのではない。
家族が生きていくために仕方なく身売りする現実がそこにはあるのだ。
着飾って贅沢したいための援交とは違うのだ。
日本だって、少し前の時代にはあった話だ。
しかし、最近驚くのが、このエロエロ産業もかなりエグいマニア好みが進んでいる。
女性の低年齢化もロリコン趣味を通り越すほど子供が商品になっていたり、男性同士もありありで「男性客限定。当店は美少年揃いです!」などと日本語で書かれたチラシも増えてきた。
少年というにはあまりに幼すぎる男の子も商品になるという。
男性ばかりではない。
日本人女性が現地の男性を買うのも珍しい話ではない。
悲しいけれど、彼らも別の意味でアジア好きなのだ。
彼らが落としていったお金で食べていくことができるならそれでいいじゃん・・・そう割り切るにはあまりに切なすぎる。
切ない現実とエイズという惨い現実が、アジアの街角を今日も浸食している。
2006/09/07
3. 足もみVS足ツボ
足もみマッサージと足ツボマッサージは、私の中では、似て異なるものである。
前者は俗にいうタイ式、後者は台湾式と私の中では位置づけられている。
アジアの街角では、バリバリ日本人をターゲットにているのが丸判りで恥ずかしくなるくらい、思いっきり日本語のマッサージメニュー看板を見かける。
ツーリストの多いところでは、探さなくても目に飛び込んでくる。
日頃ウォーキングで鍛えているとはいえ、歩き慣れない道や旅の疲れが、マッサージ=気持ちいい〜と頭の中で勝手に図式され、ドアの前に立つ人は少なくないだろう。
メニューコースも足・肩・腰・全身、アロマ・タイ古式なんて、いくつかあって、時間と料金が表示されている。
ほとんどの人は、ま、話のタネ程度に30分〜1時間くらいのフットマッサージをセレクトすると思う。
まずは、靴・靴下を脱いで、桶や洗面器にためたお湯(ハーブや薬草が入っていたりする)に足をひたして、マッサージをしてくれる人が指の股まできれいに洗ってくれる。
もうこの時点で、気持ちは天国への階段を上っている。
よそ様に自分の汚い足を洗ってもらうだけで、申し訳ない思いと、殿様気分が交錯するものだ。
次は、お店によって多少違うが、だいたい、あと回しの方の片足に先にタイガーバームみたいなものを擦り込んで、タオルでぐるぐる巻きにしてねかせる
これが、足を洗ってもらうより更に気持ちいい。
あと回しの方でも、これほど気持ちよいのだから、スタンバッている方に期待が膨らむ。
ところが・・・・、ここから先、足もみと足ツボで天国と地獄ほど差が出るのだ。
足もみは本当に気持ちいい。
よだれ垂らして寝こけてしまうくらい気持ちいい。
リンパにそって、つぼをおさえて、時々お箸のようなスティックをつかって攻めてくるのだが、この刺激が非常に心地よい。
最後は両足の付け根のリンパまで重みをかけて、血の流れをよくしてくれる。
さすが、タイ古式マッサージの伝統はすばらしい。
さて、足ツボだった場合、店の人が足ツボマップの絵を用意してくれる。
それには、ツボ位置に番号がふられ、その番号の効く場所や弱っている場所なんかの説明書きがのっている。
ふ〜ん、と思って見ていると、急に悲鳴をあげるほどの痛みが襲ってくる。
「イッテェ〜イテイテ、イッテェ〜!!」と声を上げ、先ほどもらった絵で痛い場所を確認することを自分に言い聞かせるためか「どこが痛いんだよ〜?!」なんて大きな独り言を漏らしたりすると、マッサージ師がにやりと笑って、日本語で「肩。」と冷静に答えてくれる。
足ツボは弱っている場所のツボを押さえられると激痛が走るほど痛い。
でも、そのかわり、どこも悪くなければ、痛くなくて気持ちいいらしい。
らしい・・・と言うのは、あいにく私は痛いところだらけのため、足ツボで夢見心地体験をしたことないからだ。
「イッテェ〜!」 「目」
「イッテェ〜!」 「肩」
「イッテェ〜!」 「首」
「イッテェ〜!」 「気管支」
「イッテェ〜!」 「腰」
「イッテェ〜!」 「股関節」
「イッテェ〜!」 「膝」
少なくともこの7ツボは常時アカンのだ。
ときには、「子宮」とか「卵巣」とか「前頭葉」とか答えられ、うさんくささ倍増でマッサージ師がただのサディストに見えてくることもある。
しかし、足ツボは後で効く。
体が軽くなったと感じる時間が長い。
う〜ん、おそるべし、中国4000年の歴史。
ただ、店構えだけで、そこが足もみなのか足ツボなのかはっきり区別することができないお店が多い。
どっちにしても期待倒れだったりすることはよくある。
ま、そういうときは「マイペンライ」と笑って許してあげよう。
前者は俗にいうタイ式、後者は台湾式と私の中では位置づけられている。
アジアの街角では、バリバリ日本人をターゲットにているのが丸判りで恥ずかしくなるくらい、思いっきり日本語のマッサージメニュー看板を見かける。
ツーリストの多いところでは、探さなくても目に飛び込んでくる。
日頃ウォーキングで鍛えているとはいえ、歩き慣れない道や旅の疲れが、マッサージ=気持ちいい〜と頭の中で勝手に図式され、ドアの前に立つ人は少なくないだろう。
メニューコースも足・肩・腰・全身、アロマ・タイ古式なんて、いくつかあって、時間と料金が表示されている。
ほとんどの人は、ま、話のタネ程度に30分〜1時間くらいのフットマッサージをセレクトすると思う。
まずは、靴・靴下を脱いで、桶や洗面器にためたお湯(ハーブや薬草が入っていたりする)に足をひたして、マッサージをしてくれる人が指の股まできれいに洗ってくれる。
もうこの時点で、気持ちは天国への階段を上っている。
よそ様に自分の汚い足を洗ってもらうだけで、申し訳ない思いと、殿様気分が交錯するものだ。
次は、お店によって多少違うが、だいたい、あと回しの方の片足に先にタイガーバームみたいなものを擦り込んで、タオルでぐるぐる巻きにしてねかせる
これが、足を洗ってもらうより更に気持ちいい。
あと回しの方でも、これほど気持ちよいのだから、スタンバッている方に期待が膨らむ。
ところが・・・・、ここから先、足もみと足ツボで天国と地獄ほど差が出るのだ。
足もみは本当に気持ちいい。
よだれ垂らして寝こけてしまうくらい気持ちいい。
リンパにそって、つぼをおさえて、時々お箸のようなスティックをつかって攻めてくるのだが、この刺激が非常に心地よい。
最後は両足の付け根のリンパまで重みをかけて、血の流れをよくしてくれる。
さすが、タイ古式マッサージの伝統はすばらしい。
さて、足ツボだった場合、店の人が足ツボマップの絵を用意してくれる。
それには、ツボ位置に番号がふられ、その番号の効く場所や弱っている場所なんかの説明書きがのっている。
ふ〜ん、と思って見ていると、急に悲鳴をあげるほどの痛みが襲ってくる。
「イッテェ〜イテイテ、イッテェ〜!!」と声を上げ、先ほどもらった絵で痛い場所を確認することを自分に言い聞かせるためか「どこが痛いんだよ〜?!」なんて大きな独り言を漏らしたりすると、マッサージ師がにやりと笑って、日本語で「肩。」と冷静に答えてくれる。
足ツボは弱っている場所のツボを押さえられると激痛が走るほど痛い。
でも、そのかわり、どこも悪くなければ、痛くなくて気持ちいいらしい。
らしい・・・と言うのは、あいにく私は痛いところだらけのため、足ツボで夢見心地体験をしたことないからだ。
「イッテェ〜!」 「目」
「イッテェ〜!」 「肩」
「イッテェ〜!」 「首」
「イッテェ〜!」 「気管支」
「イッテェ〜!」 「腰」
「イッテェ〜!」 「股関節」
「イッテェ〜!」 「膝」
少なくともこの7ツボは常時アカンのだ。
ときには、「子宮」とか「卵巣」とか「前頭葉」とか答えられ、うさんくささ倍増でマッサージ師がただのサディストに見えてくることもある。
しかし、足ツボは後で効く。
体が軽くなったと感じる時間が長い。
う〜ん、おそるべし、中国4000年の歴史。
ただ、店構えだけで、そこが足もみなのか足ツボなのかはっきり区別することができないお店が多い。
どっちにしても期待倒れだったりすることはよくある。
ま、そういうときは「マイペンライ」と笑って許してあげよう。
2. お風呂
私は割と生活環境に対する順応性が高い方だ。
たとえば、食事は手で食べるものだと言われれば、何の躊躇もなく手で食べる。
手動水洗トイレならば、手桶に水をくんで流すこともできる。
郷に入れば郷に従うことが、別に何のためらいもなくできる。
で、割と平気なので、今までの習慣は一体何の意味があったんだろう?と考えてしまうこともよくある。
そんな私でも、これだけは絶対日本が勝ち!と思うことが一つだけある。
それは、お風呂。
日本人は本当にきれい好きだ。
家にいるときは、恥ずかしい話だが、私はカラスの行水女だ。
「もう出たんかい?」と聞かれるほど、入浴時間は短い。
短いのだから、さっさと入ってしまえばいいのに、お風呂に入るのが嫌だ。
あー、モン族に生まれればよかったな。。。と真剣に思ったことさえある。
なぜに風呂が嫌いかというと、眠気が覚めてしまうから。
湯船につかっているときは非常に眠たくて、何度溺れそうになったかわからない。
でも、あがってしまうと、目が冴え冴えで眠れないのだ。
これほど風呂嫌いの私でも、外国に行くと日本のお風呂が恋しくて恋しくて仕方ない。
矛盾してる?なんでやねん?
汗と埃にまみれた体では、さすがの私でも毎日お風呂に入りたくなるものですよ。
ホテルにバスルームはついている。
でも、温かいシャワーに必ず当たるとは限らない。
仮に温かいお湯が出てバスタブに張ることができても、そこからが入浴気分不完全燃焼なのだ。
まず、あのバスタブっていう西洋式の長いやつが嫌い。
いくら足が伸ばせても、なんだか寒くなってくる。
やっぱお風呂は、肩までざっぷりつかって垢をふやかさにゃあかんでしょ。
体操座りしかできない湯船でもかまわない。
熱いお湯をたっぷり張ってアゴまでつかってみたい衝動にかられるのだ。
それから、いただけないのが、洗い場がないところ。
このバスタブの中だけですべてを完了させるというのが気にいらない。
シャワーヘッドが自由に動かせるのならまだマシだけど、固定式のところだったりすると、私の足元はホントにきれいになったのかどうか自信がなくなる。
日本のお風呂は何人も同じお湯に入って不衛生という人もいるけれど、私にしてみれば、洗い場のないバスルームの方が、いかがなものかと思われます。
この不完全燃焼を解決するために、洗面器を持参したことがある。
でも、やっぱ洗面器じゃ役立たずだった。
ないよりはマシ程度だった。
なんでこんなん持ってきたの?と旦那さんにも呆れられてしまった。
かさばって邪魔だから二度と持って来ないよう約束もさせられてしまった。
やっぱりお風呂は日本の誇れる文化だ。
でも、公衆浴場と温泉は苦手だ。
たとえば、食事は手で食べるものだと言われれば、何の躊躇もなく手で食べる。
手動水洗トイレならば、手桶に水をくんで流すこともできる。
郷に入れば郷に従うことが、別に何のためらいもなくできる。
で、割と平気なので、今までの習慣は一体何の意味があったんだろう?と考えてしまうこともよくある。
そんな私でも、これだけは絶対日本が勝ち!と思うことが一つだけある。
それは、お風呂。
日本人は本当にきれい好きだ。
家にいるときは、恥ずかしい話だが、私はカラスの行水女だ。
「もう出たんかい?」と聞かれるほど、入浴時間は短い。
短いのだから、さっさと入ってしまえばいいのに、お風呂に入るのが嫌だ。
あー、モン族に生まれればよかったな。。。と真剣に思ったことさえある。
なぜに風呂が嫌いかというと、眠気が覚めてしまうから。
湯船につかっているときは非常に眠たくて、何度溺れそうになったかわからない。
でも、あがってしまうと、目が冴え冴えで眠れないのだ。
これほど風呂嫌いの私でも、外国に行くと日本のお風呂が恋しくて恋しくて仕方ない。
矛盾してる?なんでやねん?
汗と埃にまみれた体では、さすがの私でも毎日お風呂に入りたくなるものですよ。
ホテルにバスルームはついている。
でも、温かいシャワーに必ず当たるとは限らない。
仮に温かいお湯が出てバスタブに張ることができても、そこからが入浴気分不完全燃焼なのだ。
まず、あのバスタブっていう西洋式の長いやつが嫌い。
いくら足が伸ばせても、なんだか寒くなってくる。
やっぱお風呂は、肩までざっぷりつかって垢をふやかさにゃあかんでしょ。
体操座りしかできない湯船でもかまわない。
熱いお湯をたっぷり張ってアゴまでつかってみたい衝動にかられるのだ。
それから、いただけないのが、洗い場がないところ。
このバスタブの中だけですべてを完了させるというのが気にいらない。
シャワーヘッドが自由に動かせるのならまだマシだけど、固定式のところだったりすると、私の足元はホントにきれいになったのかどうか自信がなくなる。
日本のお風呂は何人も同じお湯に入って不衛生という人もいるけれど、私にしてみれば、洗い場のないバスルームの方が、いかがなものかと思われます。
この不完全燃焼を解決するために、洗面器を持参したことがある。
でも、やっぱ洗面器じゃ役立たずだった。
ないよりはマシ程度だった。
なんでこんなん持ってきたの?と旦那さんにも呆れられてしまった。
かさばって邪魔だから二度と持って来ないよう約束もさせられてしまった。
やっぱりお風呂は日本の誇れる文化だ。
でも、公衆浴場と温泉は苦手だ。
1. 熱い視線
チェンマイ空港のイミグレーションで並んでいた時のことである。
何か感じる・・・ぞわぞわっ・・・誰か見てる・・・
後ろを振り向くと、頭の小さい濃い顔立ちの男の人が15人くらい、イミグレに並ばずに少し下がったところで横一列に待機していた。
ちょっとくたびれたように見えるスーツを一同着込んでいる。
彼らにとっては、精一杯の一張羅のようだ。
しかし、何だよ・・・なぜにみんな私をみるのよ?
自意識過剰なのかと錯覚してしまうほど、みんな私を見ている。
他にも外国人はいるではないか?
しかも、ここでは君らも外国人だろう?
「ねね、お父さん、あの人たちネパールの人かな?みんなじっと見つめとるのだけど、ワシの顔になんかついとるん?」
お父さんというのは、父親のことではない。
私の前に並んでいる旦那さんのことだ。
私の問いに振り返った彼は、笑いをこらえるのがやっとのようだった。
「お父さん、笑うでないよ。じっと見られとるのだけど、やっぱネパール系の人かな?」
ぼそぼそ話す私の声が見つめる彼らにも聞こえたらしい。
そりゃそうだ、彼らの意識は私一点に集まっているのだもん。
中の一人がにっこり笑って答えた。
「ノー、ネパリ。バングラディッシュ。」
あ〜そ〜、バングラディッシュなのね。
でも、なんでワシばっか見とるん?
笑いを必死にこらえて旦那さんがこう言った。
「なんでそんなに顔がデカイのか気になるんちゃうの?」
そうかも・・・私の顔がデカイというのは置いといても、頭の小さい彼らからすれば、妙チクリンに見えるのかもしれない。
彼らは大きな瞳、まつ毛も黒々、高い鼻、凛々しい唇、浅黒い肌、小さなお顔に具がぎっしり詰まっているように濃い顔立ちだ。
色白の大頭デカタロウの私を彼らは滑稽に見えたのかもしれない。
なんと失礼な!
でも、カッコイイ兄ちゃんたちだった。
チェンマイへ集団出稼ぎなのかもしれない。
バングラディッシュと聞くと、私の中では、難民と栄養失調の乳児の映像が擦り込み学習されている。
がんばって働いておくれやっしゃ。
それはそうと、その熱い視線はほんとのところなんなのよ。
日本では「よその人をジロジロ見てはいけません。」と躾られるけれど、やはり日本特有の文化のようだ。
アジアは違う。
興味があったらジッと見る。
濃い顔立ちの人から見つめられると、ほんとに視線が痛いほど感じる。
悪気はないのであろう。
むしろ、じっと見られるほど興味を持っていただいたことに感謝した方がよいかもしれない。
私はもう若くはないのでトント関係のないことだが、若い娘さんなら勘違いしてロマンスに発展するかもしれない。
事実、そんな出会いがきっかけでラブラブモードになってしまった話はよくあるようだ。
何か感じる・・・ぞわぞわっ・・・誰か見てる・・・
後ろを振り向くと、頭の小さい濃い顔立ちの男の人が15人くらい、イミグレに並ばずに少し下がったところで横一列に待機していた。
ちょっとくたびれたように見えるスーツを一同着込んでいる。
彼らにとっては、精一杯の一張羅のようだ。
しかし、何だよ・・・なぜにみんな私をみるのよ?
自意識過剰なのかと錯覚してしまうほど、みんな私を見ている。
他にも外国人はいるではないか?
しかも、ここでは君らも外国人だろう?
「ねね、お父さん、あの人たちネパールの人かな?みんなじっと見つめとるのだけど、ワシの顔になんかついとるん?」
お父さんというのは、父親のことではない。
私の前に並んでいる旦那さんのことだ。
私の問いに振り返った彼は、笑いをこらえるのがやっとのようだった。
「お父さん、笑うでないよ。じっと見られとるのだけど、やっぱネパール系の人かな?」
ぼそぼそ話す私の声が見つめる彼らにも聞こえたらしい。
そりゃそうだ、彼らの意識は私一点に集まっているのだもん。
中の一人がにっこり笑って答えた。
「ノー、ネパリ。バングラディッシュ。」
あ〜そ〜、バングラディッシュなのね。
でも、なんでワシばっか見とるん?
笑いを必死にこらえて旦那さんがこう言った。
「なんでそんなに顔がデカイのか気になるんちゃうの?」
そうかも・・・私の顔がデカイというのは置いといても、頭の小さい彼らからすれば、妙チクリンに見えるのかもしれない。
彼らは大きな瞳、まつ毛も黒々、高い鼻、凛々しい唇、浅黒い肌、小さなお顔に具がぎっしり詰まっているように濃い顔立ちだ。
色白の大頭デカタロウの私を彼らは滑稽に見えたのかもしれない。
なんと失礼な!
でも、カッコイイ兄ちゃんたちだった。
チェンマイへ集団出稼ぎなのかもしれない。
バングラディッシュと聞くと、私の中では、難民と栄養失調の乳児の映像が擦り込み学習されている。
がんばって働いておくれやっしゃ。
それはそうと、その熱い視線はほんとのところなんなのよ。
日本では「よその人をジロジロ見てはいけません。」と躾られるけれど、やはり日本特有の文化のようだ。
アジアは違う。
興味があったらジッと見る。
濃い顔立ちの人から見つめられると、ほんとに視線が痛いほど感じる。
悪気はないのであろう。
むしろ、じっと見られるほど興味を持っていただいたことに感謝した方がよいかもしれない。
私はもう若くはないのでトント関係のないことだが、若い娘さんなら勘違いしてロマンスに発展するかもしれない。
事実、そんな出会いがきっかけでラブラブモードになってしまった話はよくあるようだ。
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